あかんたれブルース

継続はチカラかな

価値観の一極集中



かつて民主党政権交代したときに
地方は大いに期待しました。
東京など大都市部に人が集中していき
地方が枯れていく状況がすーっと続いています。
全国どこでもシャッター商店街の有様です。
これをなんとかしてほしい。
しかし、その期待はあっという間に裏切られた。

民主党にその具体的な解決策はなかった。
そして政権を失ったわけですが
マニフェスト(公約)違反云々以前に
地方はずっと以前に愛想を尽かしていた。

現在は地方分権が強く叫ばれていますが
はたしてそれで解決するのか
わたしは大いに疑問です。

現在の日本には様々な問題が横たわっています。
わたしはこのすべての問題解決のツボは
教育改革にあるとしてきました。

しかし一般的な考えで、教育問題って
二の次三の次でまず経済の建て直しと考え
公共事業復活とか金融緩和、外交問題などに
気が行ってしまう。
ま、せいぜいいじめや体罰が事件になったときぐらい

感覚として「遠い」んでしょうね。
わたしはそうは思わないけど。

経済の基本は流通にある。循環です。
今の日本はお金や人の流通・循環が悪いからだ。

日本人は縦型で物事を考え
縦型の価値観に陥りやすい民族に
成り下がってしまった。

たとえば、景気が悪いを理由に
就職難の状況が続いてますが
大学生が目指す就職先は
大手一流企業に集中している。
ここにも一極集中がある。

馬太郎はよく
個の肥大化を問題にしていますが
多様化といわれながら
日本人の個の行動原理は非常に脆弱で
ひとつの価値観に纏め上げられていいる。

それが学歴神話によるマヤカシなのだ。
(1)よい学校→(2)よい会社→(3)よい人生。

この神話はすでに瓦解している。
まず、(2)が日本の学生に愛想を尽かしている。
もっと優秀な外国人学生を選ぶでしょう。
それでも狭き門でもだからこそ
「自分だけは」「自分の子供だけは」という
皮算用やご都合主義で反省などしない。
まあ、ひとつの権利取りですね。利権ですよ。

それ以前に(3)なんかが
どうも怪しいということは立証されてきても
なかなかそれを認めようとはしないのは
そんな「そうはいっても」とか
「自分だけは」というムシの良い甘い発想から。

みんなが御輿を担ぐ人は損で
御輿の上に乗る者が目指す。
本来、御輿には乗っていけないものなのですが
まあ、それはそれとしても
担ぎ手がいなくなってるのが今の日本の現状です。
人の流通が悪いのだ。
こんなんで経済が活性化するわけがない。

人間はパーフェクトではない。
それぞれに得意不得意もある。
またそれぞれのリーダーも必要でしょうが
リーダーというものは学歴利権では生まれない。
本来のリーダーは損を覚悟でやれる人間でなければ
やりきれないものです。
残念ながら今の日本の教育にそれを教える場は
非常に少ないものです。

学生を画一的な規格商品化する。
戦後の昭和20年代から40年代までは
それでもなんとかなったかもしれませんが
もう時代にそぐわないんだよね。

日本で消防士といえば、まあ公務員程度の認識
社会的な地位もそう高くない。
アメリカじゃ英雄ですからね。
学校の先生もフィンランドあたりでは
社会的な地位が高い。
といった具合に、職業に貴賎はないのですが
日本の価値観は直線的で
官僚とか政治家とか学者医者とか大手企業とか
パターン化されてその椅子取りゲーム状態だ。

こういうのは欧米人から不思議にみられている
東アジアの不思議な現象現状みたいです。
まあ、それでもうまくいくんだったら
いいのでしょうが、うまくいかなくなったわけだ。

篩にかけることばかりに気がいてますが
篩にかけた人間がさして使い物になっていない。
この現実をどう受け止めるかだ。

先日、全国専門学校協会の会長と会って
面白い話を聞いた。
この方は自らも七校の専門学校を経営している。
そのなかで面白い現象があるそうです。

まず入学生の8割が大卒者だという。
高卒でも入れるのですが
諸事情、つまり就職できなかったわけだ。
だったら最初から専門学校でよかったような
気もしますけどねえ。
ま、それはそれとしてだ。
それぞれに人気学科とそうでもない学科で
入学の競争率が違う。
人気学科は競争率ウン倍十数倍とか
人気がない学科は誰でもどうぞ状態です。

当然、人気学科のほうが優秀な人材が集まる
と、思うよね。ところが、
卒業時になると、まったく同レベルなんだって。
資格取得数とか卒業生の数まで。

まあひとつのノアの方舟方式とか
二八の論理なのでしょうが
こういった実例からも教育の在り方を
再度考え直す時期なのだと思います。


ごめん、ついつい長くなってしまった(汗)