あかんたれブルース

継続はチカラかな

優しさという凶器

残酷な優しさ(2)


酷い話には酷い人間が登場する。
わたしはその酷い人間っていうのを観察する。
すべてには因果があるわけで
なぜそんなになったのか
という原因があるものです。

オギャアと生まれて即悪人ってことはない。
また、人間ってものにそうそう悪人はいない。
そこまで根性の座ったものはレアです。

そういった理不尽や酷い話には
必ずある共通するキャラクターが登場する。
むしろこっちが主人公だ。
そして、この人物も因果の因
であることは間違いない。

こういった人物は質として優しい。
優しさは美徳であるけれど
物事には必ず表裏があって
優しさは裏を返せば弱さに現われてしまう。

それに依存してしまうものがいるのだ。
その依存が適度なものであればいいけれど
優しさの側面にある弱さを嗅ぎ取って
依存することでバランスをとろうとする。
これは双方にとって非常に良くないものです。

過保護にしてしまうのだ。

これがどんどんエスカレートしていくと
甘えるほうも引っ込みがつかなくなって
しまうものです。
日本と対中国、対韓国などもこれだ。

個人的な話であれば
親と子、子と親、兄弟姉妹関係
夫婦間、友人関係に仕事上の関係などなど
モラルハザードはこういったところから生じる。
いじめも無縁ではありません。

いじめをやったものを規制しようと
する風潮ですが、それだけじゃだめなのだ。
やらせる側の問題も大きい。

厄介なのは個人の関係で
そこに愛憎の骨肉が絡んでいる場合。
愛にも表裏があって憎しみにかわる。

優しさを=愛として
それを盲信するけれど
そういう優しさには嘘があります。
そういう愛は間違ってる。
もっと酷い言い方をすれば、保身であり
自分のことしか考えていない。

相手をもっと追い込んでしまう。
後戻りできないぐらい追い込む
その優しさは残酷この上ない。
また、そのことから周囲のものも巻き込んでしまう。
自分が我慢すればいいなんて
そんな暢気なことはいってられない。
のだけど、そのメカニズムがいまひとつ
ピンときていないのでしょう。

どうか優しさを履き違えないでほしい。
もっと厳しさをもってほしい。
自分にも相手にも
そうしたからって自分の優しさや愛が
損なわれることなんて、金輪際ありません!