あかんたれブルース

継続はチカラかな

勝手にしやがれ



昨日、担当編集者から
新書本の見本が届きました。

一頁にどれくらいの文字が入るか。
字詰めと行数の感じをつかむためです。
で、たまたまその本が
『自分のことをしゃべりすぎる若者たち』
というタイトルだった。

帯には
「なぜ、彼らは
 どーでもいいことを
 しゃべり続けるのか」

とあって、小さな文字で
「就活、婚活、フェイスブックツイッター……
 やりすぎ自己PRで墓穴を掘らないために」

とある。
まあ昨今の若者の傾向と対策なのでしょうが
これって、若者に限ったことじゃないなあ(汗)

パラパラとめくって
たとえば、目次の章立てを列記すれば
○しゃべりすぎて失敗する場面
○しゃべりすぎる環境の拡張
○「自分のプロモーション」はしないのが勝ち
ネット弁慶の立ち往生
○沈黙に勝つ方法 の以上五章からなる。

なんかこれだけで読んだ気になるねえ(笑)

確かに、国際化云々で
自己表現が乏しい日本人気質が批判される。

そういうことを欧米人にいわれるのは
まあ我慢というか反省もするけれど
中国人とか韓国人にいわれる腹が立つ
馬太郎であります。

日本人はグローバルグローバルで
表現、交渉、アピールすること、手法を
勘違いしている。とわたしは思う。
その勘違いはディベートなどでも顕著で
それゆえ、ディベートは日本語でやるな!
とまでいわれていますが
これは言語の問題だけではなと思う。

ネット世界はフェイスブックツイッターから
どんどん拡大していきました。
わたしの知り合いもよく
人的ネットワークを重要視していますが

歳のせいですかねえ
わたしはそういうのが煩わしくなってきてる。

というよりも、情報が氾濫しすぎて
その取り捨てに苦労するし
しがらみが増えるだけで、
身動きに不自由が出てしまう。

第一につまらん。

そういう数量より質を重視したいのだな。
たとえば回転寿司食べ放題よりも
小料理屋で珍味で日本酒をチビチビとか。

「そんなこと言ってる取り残されます!」

たぶん、こういった不安や焦りが
こういう現象を起こさせるんでしょうねえ。
わたしは別にそっちの方向に行きたくはないんだ。
という風にはならないみたい。

ひと昔前、やたらと個性個性って
いってた時代がありました。
あんときもやたら個性的風の人が
自分の個性をアピールしてましたが
わたしにはさっぱりそれがわからん。
鼻声出してマッタリしててタテ乗りで
コーヒーより紅茶、砂糖なし
東京ガスのCMの女みたいなのが
やたらといたなあ

つまらん理由はパターン化してるからだ。
それに比べたらうちのシスターズは
みんな個性的ですけどね。

だからといって、
焼肉屋で脱糞したとか
喫煙処分の腹いせで高校を提訴したりとか
全種タネの違う子を量産することが
個性の真骨頂とも思わない。


問題は、「どうでもいいこと」
にあるのかもしれない。

たとえば、昨夜ルイ隊長の内緒コメ。
何事か!と思えば、
>うれぴー!ルンルン踊りながら帰ってきたよ~ん。
>うふうふ!しあわせだよん。
>あ~ん。スナップえんどうも買ったし、
>かきフライもあるよ!
>メロンもあるよ!全部半額だー!!!!!!

とか、うり坊は
会心の記事をかい(≧m≦)プー☆

内容は椎茸チンチンの画像でした(涙)

かおりくんは「白いうんこ」が出たと。
バリュームでも飲んだんかい!

まったく、勝手にしやがれである。

てな具合に、関係ない人にはまったく
「どうでもいいこと」なのでしょうが
まあ、わたしはこういうのが好きなわけで
こういうどうでもいいことに
個性や価値をわたしは認めるわけだ。

それをどうでもいいとするか
しないかは、わたしも個人的な問題で
わたしの趣味趣向審美眼美学思想なのだと思う。
それがわたし自身そのもであり
半額しらこ踊りや
椎茸ちんちんや白いうんこが
わたしそのものだ。
わたしは
半額やチンチンやうんこで出来ている。

なんのこっちゃ(汗)

シスターズよ踊れ歌え便秘治せ。
そして笑え。

珍味たちよ、わたしをもっと笑わしてくれ!
笑う門には福きたる。
かおりくん、笑いだぞ。わかったな。
お前には笑いのセンスがある。