チャーリーの福音(1)
その記事のURL: http://blogs.yahoo.co.jp/djkxq447/53982540.html
>申し訳ないが、私は皇帝などなりたくない。
チャーリーのこの第一声は
とても静かに穏やかに慎み深く発せられた。
ここでいう「皇帝」とは後で述べられる
「独裁者」とイコールです。
数年前、バラエティー番組で
「(有能な)独裁者だったらいいじゃないか」
というような主旨のコーナーで
アフリカだったかどこかの国を紹介していた。
そこは医療費も教育費も
税金というもの自体がなかったんじゃないかな。
そこの国民は幸せそうで、羨ましいほど
恵まれていました。
そういった国、国民を養ってる背景には
潤沢な天然資源の恩恵があるわけですけれどね。
ただし、番組の主旨は(有能な)独裁者です。
わたしたちの不平不満は政治や政治家
そのリーダーシップのなさに募り
ときとして、民主主義というものを
忌み嫌ったりしたりもするものです。
わたしでさえもその一人だ。
たとえ、「履き違えた」と形容詞を付けても
民主主義を愚民主義と捉え
ポピュリズムに迎合するこの国の在り方に
大いに疑問を感じています。
だからみんなと同じように
強力なリーダーシップを発揮する
指導者をどうしても求めてしまう。
たとえば、チャーリーのような人が
独裁者になってくれれば
と考えてしまうわけです。
>申し訳ないが、私は皇帝などなりたくない。
しかし、最初から彼はこういって
わたしたちの甘い考えに釘を刺しました。
チャーリーのメッセージのキーワードは
「みんなで」です。
そうでなければ意味がないのだと。
民主主義はお金もかかり時間もかかる
それでもなかなか足並みは揃わない。
とても非合理な仕組みです。
ふとね、
それは仕組みのせいじゃないんじゃないか
と思った。
わたしたち一人一人の気持ちの問題なんだと。
だから、誰かのせいにしたり
誰かに委ねるのではなくて
一人一人が本来のあるべき姿に立ち戻る
ことが先決なんだと。
>私たちは皆、お互い助けたいと思っている。
>人間とはそういうものだ。
>他人の不幸ではなく、
>お互いの幸福によって生きたい。
>私たちはお互い憎みあったり、
>軽蔑したりなんかしたくない。
相対的なものの考え方は
その対比から劣等感か優越感のどちらかを生む。
そこから嫉妬や驕りや欺瞞や愚痴が生まれる。
すべてが呪いとなって私達を苛むのだ。
そういったものの考え方は
決して私達を幸福にはしないものです。
不安と恐怖で顔は歪み心を閉ざしてしまう。
>人間の魂には翼が与えられていたんだ。
そのことを
わたしたちは忘れている。