あかんたれブルース

継続はチカラかな

迂闊な腋臭の甘い人たち

迂闊な人 (2)


弱者と嫉妬
友人の記事にそういうキーワードがあった。
もういひとつ、無神経かな

なかなか考えさせられる
よい記事だった。

よく、あなたは強いから
みたいなことをいわれます。
発言者に悪意があるわけではなく
褒め言葉のつもりでしょうが、
言われた側はそう嬉しくはない。
というか微妙だな。
ま、なかにはほいほい得意がる人もいる
でしょうが、そういう人たちと
一緒にほいほい踊りする気にはなれない。

また、この発言には比較があって
発言者は弱者であるという前提がある。

悪意はないとしましたが
ここで、悪意のあるものも存在してくる。

弱者を人質にし、権利にしている。
言い訳にしている。
そして、「あなたは強者だ」と言われても
とうてい素直によろこべないよ。

わたしは強者なのか?
なんか恵まれているようで気が引けるなあ。
そんなこともないだろうに・・・。
もしそうみられているのなら
嬉しさ半分・・・なんかさびしい。
不公平だとも思う。

あなたは強者だから医療控除は受けられません
みたいな(汗)
かといって嘆きの確定申告で
悲しみや寂しさの領収書をひっかき集めて
こんなに不幸ですと弱者申告なんてしたくない。

それにしても
わたしの悲しみはどこにいってしまったのかしらん。
かといって、それを売り物になんかしたくない。
えっ? だから強者だって?
悪い冗談でしょ。あほらしい。
そういうのがよけいにさびしくなってくる。


弱者と強者のカテゴライズにはそういう
毒がふくまれているものです。
日本の戦後民主主義には
そういうデリカシーを置き去りにして
弱者の正当性だけが信奉されてきた
結果からこういった迂闊さや
無神経さが思いもよらないところで
露出していると思う。


そういう意味でみーんな弱者なの。
「個の肥大化」という言葉をよく用いますが
思ったまま感じたままを誰彼なしに言うのが
コミュニケーションでもないし
感性でも知性でも、ましてや自由でも
自分らしさでもない。それじゃあ馬鹿だ。
それじゃあ絶対に幸運は引き寄せられない。

それ以前にその自分っていうのはなんだ?
私は私は私は私は私は私は・・・・
ぜんぶ私のことばかり。
その私ってなんなんだあ?

みんな弱者、みんな自分勝手、みんな変なのだ。
ただそこに個人差があるものです。
その個人差は決して「条件」じゃない。
能力とか優秀さとか経済的なとか
健康とか容姿とかの条件じゃない。

そういうのは、その人の姿勢で決まる。


なんで、嫉妬されてしまうのか?
それはするほうとされるほうに
そういう迂闊さがあるからだ。
また、それを嫉妬と受け取るか否かにもよる。
嫉妬させないという手立てもあるでしょう。

ドラえもんは生き物か?
この問題に提示された

特徴A:自分と外界とを区別する境目をもつ。

これがないってことは
生き物じゃないってことでもある。
自分と他人を一緒にするということは
そういうことでもあるし、
また、自分を弱者として
他者を強者という区別の仕方は
それ以下のものだ。
生物とは認識されても人としては、どうかな?

こういった迂闊は誰しもあるものです。
こういった耳痛い話を避けないで
常に意識して
肝に免じておくことも大切だよ。