あかんたれブルース

継続はチカラかな

地獄について



今日、3月11日は震災から二年目の日だ。
テレビでは特番をやっている。
それでも被災地の人とそうでない人の
体温差は確かにある。

直接、自分のことじゃないからね。
そうなんだろう?
別に責めよなんて思ってないよ。
そんな資格、僕にはないもの。
きっと自分のことで精一杯なんだ。
失ったものを取り戻そうと
必死でなにも見えないんだね。

最後まで可哀想な人だった。

そう、これが最後。
もう可哀想とは思わない。


震災の特番のなかで
両親と弟を津波で失った男性が紹介されてた。
彼はそのとき必死に自社ビルの屋上の
煙突にしがみついて難を逃れた。
そのとき、津波が非難所を呑み込む光景から
そこに非難した両親と弟は助からないと覚悟した。
その予測は的中してしまった。
震災復興から国の予算で崩壊した家屋を
無償で処理してくれるという。
小さなビルだけど取り壊すには
800万いや、1000万以上はかかるだろう。
彼はそれを拒否して
そのビルを震災の記憶を風化させないために
壊さないといっていた。

それに対する賛否はあるだろう。

わたしは別のことを考えていた。
人間が変わるためにどれほどの
労力が必要なのだろうか。
どれほども悲劇や苦悩が必要なのか。

そんな悲しみや苦しみを味あわなくても
変われるだろう。変われるはずさ。
いったい何を守ろうとしているんだ。
それはその悲しみや苦しみに値するものなのか?

とことん逃げてみればいいさ。
逃げ切れるものなら逃げてみてくれ。
僕はもうなにも言わない。
伝えることは伝えた。
君はその都度、頷いた。
時間をかけてじっくり咀嚼してくれれば
いいというのにすぐ納得してしまう。
なにもわかっちゃいない。
自分でわかるしかないんだ。

言い訳は通用しないんだ。
世の中が本当に厳しいというのは
そういうことだと思う。