あかんたれブルース

継続はチカラかな

人間について



以前、四、五年前かなあ
ここでこんな質問を投げかけてみた
ことがあります。

(1)(  ̄○ ̄ )
貧しい環境でなんとかパンひとつを
生み出すことができたとして
それを仲間と半分にして分け合うことが
できる人は多い。
(最近は知りませんが)

(2)(  ̄▽ ̄ )
その環境がもうすこし改善されて
パンを二個生み出せるようになった。
それを仲間と一個ずつ分け合うことが
できる人も多い。
(そうじゃない人もいるでしょうが(涙))

(3)(*≧m≦*)
問題は、もっと環境が改善されて
パンを三個生み出すことができるようになった。
まず、一個ずつ分けて・・・
さて残りのひとつ。
ここで揉め事が起きる場合が非常に多い。

自分のほうがたくさん働いたから
これは自分が貰う権利がある。とか、
よくて、四分六だのいや七分三分だ
公平に半々にしろよ馬鹿野郎!
などと仲良く分けられい人は非常に多い。

という喩え噺をしたところ
意外な反発があった。

三つ目を半分にすればいいじゃないか!
誰かにあげればいいじゃないか!
なかには、何でそんなことを言い出すんだ!

声の大きさはそれぞれですが
そこに苛立ちがあることは隠せない。
痛いところを突いちゃったねえ(汗)
神経を逆撫でさせてしまった。

これは豊かさとか発展のプロセスであり
人間のもつ、良心の劣化の推移をあらわした逸話。
そこに仕組まれた罠みたいなものなんでしょう。
誰だって心当たりがあるはずなのに
そのことを避けようとする。


分け方の方法論をテーマにしたんじゃない。


正当性を主張するまえに
正論を発するまえに
もっと謙虚にあるべきだと思う。

わかっていそうでなーんにもわかっちゃいない。
自分のことさえそんなものだ。
いったい何を守ろうとしているのか?
そんなケチなもの捨てちゃえよ。
そこでよううやく救われる。
浮かぶ瀬もあるってものだ。