あかんたれブルース

継続はチカラかな

追憶について



トリックスターさんが
映画『追憶』(1973年)の再鑑賞の
記事をアップしていた。

ニューシネマから
1970年代に入ってアメリカ映画は変わった。
そのエポックがキャバレーなのか
ゴッドファーザーなのか

この『追憶』も新しい映画の潮流のなかにあった。
主演は『スティング』『明日に向かって撃て』の
ロバート・レッドフォード
歌手から映画界に進出した
バーブラ・ストライサンドという
異色の組み合わせ。

映画を観たことがなくても
この主題曲を知っている人、多いと思います。
http://www.youtube.com/watch?v=uBPQT2Ia8fU

映画の時代背景は1944年
第二次大戦のなかで
男と女が出合い愛し合う
二人は主義思想から生き方まで異なっていた。
時代は東西冷戦から赤狩りに突入していく。
そして二人の関係は破綻してしまう。
お互いが別々の人生を歩み
数年後に再会するという内容なのだが。

わたしは確か新宿の名画座
十八十九の頃に観たと思うけれど
その頃よくこの映画がわからなかった。
まだ、大人じゃなかったんでしょうねえ。
そしてそのまま・・・

それをトリックスターさんが
追憶させて揺らすのだ。
映画を、というよりも
あの頃の、あれからの、自分を。
同じ一人の人間なのに
まるで別人のように追憶してるなんて
不思議なものですねえ。
記憶ってものは。

この作品のなかにこんな台詞があった。
「あんたたちハイソは、
 なんでもジョークで済まそうとしてるでしょ。
 真面目に社会と向き合ったことあるの?」

ノンポリで軽い器用な男に対して
投げつけられた女の言葉。

自分もそういう生き方を敢て架してきたと思う。
そうあることが大人なのだと思っていた。
社会と上手く渡り合うには
そういうスタンスを身につけることが
肝要なのだと。

正義感溢れる直線的な正直な女と
コミュニケーション能力に長けた優しく軽い男
双方が戸惑い苛立っていたことでしょう。
そして別れた。

ところで、人間ってものは変わる。
成長するといったほうがいいのかな
冷静になったというほうが正確なのか
そして、そこに追憶がある。
なん、ちゃあってぇ。

「あんたたちハイソは、
 なんでもジョークで済まそうとしてるでしょ。
 真面目に社会と向き合ったことあるの?」

バーブラ、ちょっと待ってくれ
 僕はハイソじゃない。
 ハイチューは好きだけど。
 確かに連中のジョークにはセンスがない。
 間が悪いんだ。
 しかしそれはハイソサエティ
 限ったことじゃない。
 だからって僕自身がなんでもかんでも
 ジョークで済まそうとしてるわけじゃない。
 少なくとも僕は間の取り方は心得てるつもりだ。
 世間では僕の事を間男っていう人もいるだろう。
 だけども僕は僕なりに
 社会に対して、自分に対して、
 そして君に対して、真面目に
 向き合っているつもりだ。
 今の君には
 僕が不埒でお調子者でいい加減な人間に
 みえるかもしれないけれど
 もっと長い目でみてくれないか。
 長い鼻じゃない。鼻じゃ見えないだろうが。
 35年後の僕をイメージしてくれないか。
 きっと君の見る目も違っているだろうし
 僕自身もまた変わっていると思う。
 それは変節でも変身でもなく成長なんだ。
 だから性急に答えを出して葬り去って
 追憶の彼方においやらないでほしい
 身近で見守っていてほしい。
 そしてともに成長していこう。
 身近であればお互いの変化はわかりづらい
 ものだけれど愛はそうやって育まれていくものだ。
 そして世間は常に駆り立てるものだ。
 赤狩りの次は言葉狩りそしてオヤジ狩り
 そして優しい仮面の紅衛兵
 僕たちを糾弾するだろう。
 そのとき、僕の発する言葉を傍で聞いてほしい」

「なんていうの?」

「わあ美味しそうですね。傑作ポチ」