あかんたれブルース

継続はチカラかな

格差について



アフリカにスーダンという国があります。
この国も紛争を抱えていて
南北に分裂し内戦状態にあり
一昨年、南スーダンが独立宣言しました。

以前、ニュース解説でその原因を
地下資源の利権問題にあると
紹介していたのですが
だけでなく
部族や宗教の違いと絡めて
植民地統治時代に
南北に格差をつけることで
効率よく支配する政策がとられたことが
大きかったようです。

差別がよくないのは
誰でも知っているでしょうが
(知っててもやるけどね)
格差にこれほどの憎悪が生まれることを
はたしてどこまで意識するだろうか?

施政者が効率よく統治するために
敢て差別や格差を生む手法は
たとえば徳川幕府士農工商身分制度
つけて、その下にエタ・非人を置いた
ことからも私たち日本人も無縁じゃなかった。
結構な比率だったみたいですよ。
明治に戸籍制度を改めたら
日本の人口が倍になったそうですから。


いま、私たちが一番気になるは
経済格差からの教育の格差だ。
しかし、わたしはそっちのほうの
格差問題にはあまり危惧を感じません。
なぜならば、それは単なる権利取りの利権
についてのもので一過性のものです。
そういうシステムでは
組織や社会や国はまわっていかない。
だから、こそ
教育改革は水面下で動いているわけです。

問題は能力だ。

確かに教育はその能力を高めるものだけど
能力はあくまでも個人的なもので
教育だけで高められるものじゃないからだ。

なおかつ、いまの権利取りの教育では
どんなに労力を投じても目的を達成できない
ことが立証されてきたわけです。
私たちの目的ってなんなのか?
権利を取得したからって幸せになる
保障はないんですよ。

わたしがむしろ危惧し恐れるのは
その格差から生まれる差別、嫉妬、憎悪にある。
これは非常に厄介なもので
はやい話が呪いだ。
これは他者も呪うが本人さん自身も呪う
悪循環と負の連鎖に繋がる。

これは幸せの対極にある不幸の道筋だ。

人間の能力っていうのは
幸せになるための能力です。
センスといってもいい。

センスのよいものは
流行の後追いなどしない。
本当にオシャレな人は服にそんなに
お金はかけないものだといわれています。

子供を幸せにしたいと思うならば
そういうセンスを身につけさせてあげる
べきだと思う。

これはね、親のセンスの問題だ。