戦争と暴力について
タカ派とハト派は
タカ派が攻撃的で、ハト派が平和的
とみられていますが、
タカ派よりハト派が政権を担ったとき
戦争になるケースが高いといわれます。
これは東映の任侠劇のようなもので
健さんが我慢に我慢を重ねて
限界に達して切れて、
極悪非道の親分宅に殴りこみをかけて
「死んでもらいます」
と殺戮皆殺し、みたいな感じなんでしょう。
そのとき聴衆(民衆)は拍手喝采だ。
先日、放送大学の文化人類学を眺めてたら
文化から発せられる暴力について講義していた。
イスラム過激派のアルカーイダは
もともとムスリムから出たものですが
このムスリムはガンジーの平和主義に強く
影響を受けていたそうです。が、
アフガニスタンなどで英国などから
ヒドイ仕打ちを受けた反動からアルカーイダが
生まれた。
暴力が暴力を生むんですね。
ところが、文化人類学というか学問の世界では
暴力を必ずしも否定しないんですね。
非常に興味深かった。
まあ、暴力の解釈の幅もあるんでしょうが。
それでも、戦争は暴力とは認めないのだとも
いっていました。
もうひとつ面白い話として
非常に平和的なモルモン教だったかな?
その学校の寄宿舎と
職業軍人を養成する士官学校の
寄宿舎の教育方針というか校則は
友愛とか誇りとかリーダーシップなどなど
まったく同じなのだそうです。
建前というかもしれませんが
一応これに則って生活教育を受けるわけです。
まったく影響されないってこのともないでしょう。
(中国や韓国をごらんなさいな)
平和主義者と戦争が仕事の軍人
それがまったく同じって(汗)
変なの。
戦争と平和って対極にある反語じゃないの?
そして戦争は暴力と違うんだっていう。
暴力は文化から生み出されるもので
戦争は制度から人工的に機械的に
システマチックに作られたものだそうで
暴力とは異質なものなんだってさ。
で、このややこしい話
なんとなくわかるような気がします。
たとえばセックスって愛の行為で
つまり平和的なものですが
そこに暴力に似たものが潜んでいる。
たとえば
好きな相手に意地悪したくなるとか
たとえば、
愛する子供にお母さんが死んだらどうする?
なんて恐怖を与えて歓んでみたり
隠れてみて子供が不安になるのを
影でこっそり楽しんでみたり。
可愛くてイーッとなって噛み付きたくなる
心境をよく女性陣から聞いたりもします。
これって拡大解釈ですが暴力ではないか?
紙一重なのかもしれない(汗)
か、表裏一体。
文化のなかにはこのような本能も
入っているのかもね。
戦争はそういうものではなく
命令に忠実に迅速に行動する。
そこは感情をさしはさむ余地はなく
そこに感情をさしはむことは
優秀な兵士ではない。
わたしたちは社会や仕事の場で
感情や感性が邪魔になるときがあります。
そういうことを押し殺して
事務的に効率よくマニュアル通りに
職務に徹することが最善の方法と考え
それをその通り実行するように努める。
これまったく戦争だな(汗)
現代社会で精神を病む人は多い。
病むはずだよ。
だって戦争なんだもん。
実際の戦争で精神を病む兵士は多いものです。
兵卒から下士官、将校、佐官、将軍まで
だって戦争なんですもん。
戦争は人間の本来もちえる文化ではないんだ。
「戦争はなくならない
それは歴史が証明しているから」
なんて馬鹿のひとつ覚えみたいにいうものが
あるけれど、戦争は本能じゃない。
それはきっと勘違い、思い違いなんだ。