あかんたれブルース

継続はチカラかな

まずここから



結局、ボストンの爆弾テロは
背後関係のない個人的な(米国)社会に対する
恨みが原因だったみたいですね。
チェチェン人とかイスラム教徒とかは
後付で、こういった国内テロは9・11から
急増しているそうです。
通り魔無差別犯罪や銃乱射事件と同じ。

とばっちりを受ける被害者は
たまったもんじゃない。
しかし、どうやってそれを避けるのか?
その術(すべ)がみいだせない。
困ったものです。

米国のあり方についてはひとまず横に置くとして

こういった個人の不平不満には
嫉妬が絡んでいる。
嫉妬は、相対的な比較から生じるものです。
それをするなといっても、
現実的には、まあ無理なんでしょうが
本人さんが満たされていれば
そうそう嫉妬したり恨んだりすることは
少ないものです。

そうあることが
その人の幸せだと思う。
だからできるだけそうあるように精進して
往きたいものだわね。

また、社会もそういう環境にあることが
望ましいわけです。
そうでないとするなら施政者の能力の低さ
怠慢とか驕りなんでしょう。

人生を英訳するとライフとなるのかな
わたしたちの人生や生活のなかには
様々な障害や厄介が起こるものです。
そういうときに良い事悪い事で判断し
わたしたちはできるだけ悪い事や厄介から
遠ざかろうとする。
しかしその良い悪いは個人的な判断でしかなく
本質は自分のそのときの状況に
都合が良いか悪いかでしかない。
塞翁が馬の話と同じでそういったものは
時間軸によってかわるものだし
大事なのは、そこからなにを気づき
どう考えどうするか
変化させるかが大事なんだと
しみじみ思う。

他者に対しても
いい人わるい人と考えがちなわたしたち
良い悪いじゃないんだな、それも
ただ単に今の自分に都合が良いか悪いか
個人に特化した思考ではどうしても
そうなってしまうものです。
そのスタンスでは、つらいよ。
そうそう都合のよい相手や場はめぐってこない。
むしろその逆の場合が多いはずです。
結局、自分自身でババを引いてしまっている。

幸せになる方策として
まずその手法・思考を改めることが
大事なんだと思いました。