あかんたれブルース

継続はチカラかな

道徳を教えるだけでカンカンガクガク



昨日の教育改革の会合で
「道徳」教育のことが話題となりました。

安倍さんはこれをしっかりやらないと
ということで学校教育で見直そうという
考えのようです。

モラルハザードが嘆かれる昨今。
結構なことだと思うでしょう。
ところが、これに対して現場の教職員の多くは
反対を唱えている。

変な話だねえ。
しかしこれにはそれなりの一応の理由がある。
道徳を誰が教えるのか。という点
なにをどう教えるかというものある。

これは先日記事にした、道徳の定義もあるし
それを教える手段方法論もあるけれど
問題は教師の質の問題でもあって
道徳心の欠けてる教師が多いという現実もある。

また、学校での道徳教育見直しに対して
父兄保護者はおおむね賛成です。
が、本来そういうものは家庭教育でやらねば
ならい比重は大きい。それがなってない。
のくせに何でもかんでも学校にまかせようとする。
どれがどうというわけではなく
嘆かわしい問題だと思わない?

さらに、そこまでいかなくても
ともかく礼儀がまったくなってない学生生徒
そして、若者(大人もそうだけど)。
こういう社会人が多くて、国際化といわれながら
海外ではバカにされている話もよく聞きます。

なんか杓子定規すぎる教師の考え方の
「道徳」という言葉が不味いなら
だったら「礼儀」「作法」「礼式」など
取り合えずの儀礼だけでも教えたらどうだろう
とも思うのですが・・・

そこでまた厄介。
学校で公式に制度やシステム、カリキュラムとして
道徳の授業を行ったとすれば、それを
審査しないといけない。
週たかだが二時間の道徳の授業でどこまできるのか
というよりも、それで査定はちゃんとやったと
報告書にはチェックがなされて判子が押されて
いくわけです。

これで万々歳に、なるわけはない。

ことほど左様に
こんな簡単なことでも
こんなに複雑で厄介で頭の痛いことになる。

とにかく、自分の子供だけは
しっかり育てていくしかな。
後々、泣きをみるのは子供たちですからね。
国や教育機関だけに依存してては
だめだってことですね。