あかんたれブルース

継続はチカラかな

頑子の嘆き



わたしたちは人生において
遭遇する様々な出来事(事象)を
いいこと、わるいこととに認識し
それを幸運不運と捉えます。

そして誰しもが幸運を願い不運を忌み嫌う。

運がよければとか
この世は運不運などとよく口にもする。

しかしこの良し悪しは運自体の良し悪しではない。
運を科学的に捉えれば、そこに善悪はない。
酸素が善玉で窒素は悪玉ということがないように。

それは、その人個人のそのときの状況の
都合次第であって、都合が良いか悪いか
でしかなく、時間の推移や条件状況によって
それは変わるものです。
そのときの幸運が後々の大災難になる
ということは多々あるもです。

では、運とはなにかといえば
「変化」するための兆しでありサインです。
この変化は絶対に避けられないものだ。
しかし人間はこの変化を嫌う。
たとえ現状が幸福でもそうでもなくても
変化の先の不確定な不安や怖れがそれを拒む。


渚のハイカラ人魚みたいに
ビーチサイドでチヤホヤ人気絶頂だった頑子ちゃん。
109で買った水玉ビキニが眩しい!
人生最高のときを謳歌しています。

痛い。

日焼けしてほてった体を冷やそうと
海に入ったら腕に痛みが奔った。
クラゲです。
お盆休みも終わって八月も末
あんなににぎわっていたビーチも人数が
少なくなってきたようね・・・
それでも頑子ちゃんは浜辺を去るなんて考えない。
だってお日様は私をこんなに
照らしてくれてるのよ。

九月になった。
それでも日差しはまだ強い。
ただ、波がちょっと高いかなあ・・・
台風が来ました。なんてことなの!
頑子ちゃんはビーチパラソルにつかまって
一昼夜過ごしました。
もう浜辺には誰もいません。
明け方漁船を見に来た爺さんは
高波にさらわれてどっかに流されていきました。

さすがの頑子ちゃんも
町に戻ろうかなとも思いますが
幸せだった七月八月(お盆前後)のことを
思うと、とうていあんな日常の生活には戻れない。
いまさら・・・
一生このビキニきて生きていくんだ!
と決めたのです。
あんなファーストフードのダサイ制服なんか
もう絶対に着ないと。
というか、着替える服もどこかにいってありません。

十月になった。朝晩は寒いです。
暖かいラーメンでも食べて・・・
海の家もなくなってた。

十一月ガタガタ寒いよおおおお
漂流物で小屋をつくりました。
流木で焚き火もしますが
よく乾かさない火はつきません。
浜辺の近くの港にいくと
水揚げした魚をわけてくれます。
今夜はお鍋にしようかな・・・
明日から十二月かあ

あっ、雪

このように季節(環境)は変わる
頑子ちゃんがそれを拒んでも逆らえない。
頑子ちゃんはいまの状況を不運に見舞われたと
考えています。
クラゲも、台風も、寒さも、漁協の親父の冷やかしや
海女さんの説教や、ドライブの若者からの罵倒
サーファーからの忠告もみんあ意地悪に聞こえる。

さて、十二月
頑子ちゃんは年を越せるか、越冬かもめ
この冬を乗り越えれば季節は春に、
そして待望の夏も、くる。

が、そのビキニは流行遅れ
来年はセパレートだそうです。
そのとき彼女は叫ぶ。

なんて私って不幸なの!