あかんたれブルース

継続はチカラかな

朱に交われば大赤字



昨日のコーヒーより苦いの記事で
わたしが東京ではあまり感じなかったと
記しましたが、
りんちゃんのコメントから
そうか、保護者、お母さん同士の世界では
あったんだよなあ・・・と思い返した。

子供ができると女は変わる。
妻から母親に変わる。
それを妻のチャンネル母親チャンネルと
切り替えられる人だったいいけれど
どっぷり母親チャンネルのままで
ほおりだされる男たちは多いものです。

それだけじゃなく、それ以前に
女同士の井戸端会議というものもあったな。
わたし自身はそういう場に参加しない
少数派に属する女性を選んできたはずだったけど
それも子供ができると変わっていくようです。

そして環境に染まっていく。

そういう環境のなかで自分自身を見失わない
保つ、修める、自立していくことは至難だ。
昨夜カミサンがあるママ友だちに対し
今度追及してみると語尾が荒いので
たしなめました。
この間の飲み会で相手の態度が不当で
思い出せば思い出すほどイライラが募るという。
どうも息子の事で高校は別々になったけれど
色々な点で嫉妬があるようです。
されてるほうね。

「言ってどうなるんだ」

わたしの言葉にしばし沈黙しましたが
兎に角、言わないと気がすまないという。
これが真相で、子供のことではなく
要は自分の事なんだよなあ

「そういう相手と同じ土俵にあがって
 勝負しだすとキリがないし運を落すぞ」

で、ようやく踏みとどまったみたい。
そういえば、息子の中学時代
このオマジナイを二度ほど用いていたっけかね。

いじめや体罰の問題を記事にするときに
「子供を商品化するな」と記してきました。

母親に、(もしくはわたしら父親にしても)
とって自分の子は自慢の一品です。
それが、勉強とかスポーツとか
なにか認められることでドーバミンドバドバ。
これはしょうがない
しょうがないけれど、そこはうまくやらないと
嫉妬の罠にはまってしまう。
するほうにも、されるほうにも、だ。

人間って代物は相対的にしかモノを考えられない。
これは自分を基準に比較するということです。
ましてや日本人というものは
劣等感と優越感の振り子に揺れる性癖の強い民族
ときている。
共同体に依存する傾向が強く、
自立、独立心が薄い。

結局これが私たち人間を苛むタネなのだ。

カミサンはそういう不当な扱いを受けた
つまり嫉妬心を露骨に表明されたことに
「舐められた」として我慢がならんという。
下にみられたと、プライドが傷ついたと。

そうそう出来た人は少ないものだよ。
むこうもつらいんだから赦してやんなよ。
それになによりも、そういう土俵に
同じにたって土俵入りしちゃ、あかん。
はずせ。距離をとれ。
今度誘われても断ればいいだけじゃないか。

深呼吸を繰り返していた(笑)。
滑稽ではあるけれど、まだマシだと思った。
はたしてこのオマジナイがどこまで
効果があるか。は疑問でも
それでも、こういう工夫は大切だ。

子供のためといいながら
私たちはどこかで自分中心の感情に
支配されてしまう。
その大きな原因に、環境がある。

妻には井戸端会議に参加するような
女にはなってほしくなかった。
子供にはゲームに夢中になってる都会の子供
みたいにはなってほしくなかった。
そういうのが、男の、父親の、身勝手な思いで
あることはわかっていても。

自分を見失わないということは難しいし
見失わない自分を意識していく
その自分とはどんなものかをはっきりさせて
いくことも、それはそれで難しい。
でもね、そうしていかないと
つらいよね。