あかんたれブルース

継続はチカラかな

子供にとって迷惑な親

親が子にしてあげられること(2)


やまさんがいうように
「その子の性質にもよると思うんですよ。
 生まれ持ってきたものは、 
 基盤になると思いますし。
 同じようにやって同じ子は出来ません」

同じ環境、同じ経験をしたとしても
まったく違うキャラクターになる。
たとえ死ぬほどの経験をしても
人によってその先は様々です。

だから、子供の教育の絶対コレはない。
あるとすれば愛情であり
そこからの「観察」にあると思うし
親のセンスもまた問われる。
それが難しいのでしょうけれど
そこに個人差があるわけだ。


勉強、学校の成績、有名校への進学
それより大事なこと。

石川島播磨重工業の社長となった
田口連三は小学校に上がるまえに父を亡くし
それからの彼は家長として一家を代表して
法事に出席し、大人に混じって働いた。

「底辺の人間がやることはほとんど経験し
後に営業職にすすんだときこの経験が
非常に役立った。
相手の気持ちを察しこちらの誠意をぶつけるのは
青白いインテリの世界と違うからだ」
と自伝に記されています。

今風にいえばコミュニケーション能力ですね。
これさえあれば、成功する。
といっても過言ではない。
そして感性としての観察力かな。
洞察力といってもいいでしょう。

これが低下してる劣化してるから
問題なのだ。親から大人からしてだ。

兄弟も少なく、幼友達も少ない。
幼稚園や学校は同級生ばかりだから
上下の付き合い方がわからい。
社会に出れば上下の関係がほとんどです。
上司や顧客、年長者
部下や下請け、その他もろもろ
それがうまくできなくてモラルハザードにも
発展していったわけだよね。

かわいい子には旅をさせろ
と昔の人がいったのはこういうことかな。
失敗も大きな学びだし
そこから学ばないと「欝めし」の主人公のように
失敗を絶対にみとめない人になるでしょう。
それを認めることは彼にとって死をも意味する。
折れてしまうのだ。
失敗を経験しそこから学んでこなかったからだ。

わたしはそういうことを弱いとか
繊細だとか、病のせいにするのは
無責任だと思う。
本人も、またその親もです。

文部科学省の教育方針は
「生きる力」を育むことだとある。
この方針に刷新されたのは
阪神淡路大震災を契機にしてだそうです。

あほな親が思うほど
そんな平穏な人生なんかあるもんですか。
なに?そのためにいい学校いい会社?
ですって?
とんでもないうすらばかな考えだ。
いや別にいい学校いい会社が悪いわけじゃない。
しかしそのまえに大事なことを見過ごして
いないか、ということだ。
社会情勢をみれば察しがつくでしょうに
なんで自分達だけが大丈夫と思えるのか
さっぱりわからない。

昭和40年代の子供のサッカーと同じだ。
ボールひとつを何十人何百人何千人が追いかける。
連携もパスワークもルールもない。
そんな椅子取りゲームじゃあつらいよ。
賢い親なら絶対に参加させないと思うけどね。
トレンドの後追い
高騰した株とか商品の追従は不味い手です。
もう実際に値崩れおこしているのに
それでもババを引こうとする。
子供はいい迷惑だと思いますよ。