あかんたれブルース

継続はチカラかな

危うい手法



大乗と小乗、他力と自力
これだけのことを理解できないのが
わたしたちだ。

「自分だけ」という考えが基本にあって
どうしても正常な判断ができない。

たよりになるのは結局、自分だけ。
そりゃそうだろう。
だからといって、自分だけという発想は
危険なものだ。

自力という発想にはそういう危うさが
あるものです。

それは楽観的でも悲観的でも
「自分だけ」がはいると
どっちもババを引く。
幸運のコツはこの自分というものを
外す癖をつける
これは資質よりも訓練だと思う。
教育でもそれはやっておくべきだと思う。
文科省が本気で「生きる力」を掲げるならば
なおのことです。

わかっていてもできないことがある。

ある人にとってそれはなんてことのない
ことであっても、ある人はどうしても
それができない。
たとえ、そうしないと死ぬとわかっても
つまり、そこまで追い込まれても
そのできないことは死ぬより怖いことだ。

じゃあだめじゃん。となる。

だめじゃない。
因果応報でもない。
因果には必ず縁起があるんだ。
因果は縁起から生まれる。
縁から起きるのだ。

有限の人生にあって、わたしたちが
出合う人も限られている。
都合のよい人わるい人様々でも
すべての出合いに意味がある。
それをどう受け取るかどうか、それが
ひとつの結果を生み、次の因果に結ばれていく。
因果はそうやって積み重なっていくんだ。
繋がっている。

では、他力を手放しで信奉していいものか?
わたしたちは他力を理解していない。
誰かに何かにたよるという依存的な考えが
他力じゃないんだ。

非力で弱い「私」を知ることだ。
生かされていることに気づくことだ。

わかっていてもできないことがある。

それをできるようにしてくれる
助けが縁起のなかにある。
直接的に手助けをしてくれるわけではない。
そのヒントを、切っ掛けを、
縁ある人たちが起こしてくれるのだ。
それを起こす環境を整えてくれる
手助けを必ずする。
背中をおしてくれる。
それを受け取るかどうか
信じるかどうか

だから、条件自体に目を奪われていけない。
その前の、その先にある流れと
自分自身の在り方、本質を捉えないといけない。
自分だけが大丈夫じゃなく
自分だけが不幸とかじゃく
そういう自分への固執をできるだけ
フラットにしないと、つらいんだよね。

人生は邂逅にあり

その邂逅こそが縁起だ。
無論、出会いがあれば必ず別れがある。
その意味で、有限のなかの有限の人たちは
あなたにとって「通過地点」の点でしかない。

あの人はあなたにとって通過地点でしかない。
そんな予言など、予言ではなく当然のことで
なんの価値もない。
人は死ぬというようなことと同じだ。

もし、仮に君が死ぬ一秒でも生きながらえたら
だけの話で、できればそう在りたいと思うけれど
それはカタチであって本質じゃない。

通過時点ならそれでかまわないから
そこから、気づいてほしい。
縁起としての起点でありたいと願う。

変化を厭い、そのための
否定されるだけのものならば
こんな悲しく情けないことはない。
そんな屁理屈の材料になどされたくないし
そういう選択や発想をもってほしくなかった。

だから断った。

そのミエミエの下手な筋立てにのることにした。
これも縁起だ。
楽になったと思うかどうかは君次第。
君の矛盾はわたしではない。
君の矛盾は君の環境であり君自身だ。
すべては君の人生でしかない。
それより、やらなきゃいけないことは
たくさんあるだろう。
条件・環境は日々悪化していく。
どこからなにをやるべきかよく考えて
「自分だけ」というそういう浅ましい発想を
やめて、自分に誠実に生きてください。
気分の風だけをたよらずに。

わたしからは以上です。