あかんたれブルース

継続はチカラかな

シンデレラとさらさらやま

血は水よりも(2)


継子いじめはシンデレラを含めて
洋の東西を問わず、存在するわけですが
その逸話も多い日本では神話時代には
なかったそうです。

子どもが共同体や母系家族に
養育されていた時代から
(↓)
妻が夫のもとへ移って暮らし
子どもを育てるようになる婚姻形態の
変遷に応じて,登場してきた

もので時代環境の変化によるもと
考えられているようです。

前妻の子に対しての嫉妬もしくは
自分の子が生まれてからの気持ちの変化は、
そういう環境からのもので
特に本能だったわけじゃないんだ、な。

もちろん、個人差はあるでしょう。
個人差というのには
その人の精神的な成長度と安定度とか。
子供が自分にある種の危害をもたらすという
思い込みなんでしょうね。
自由を束縛する元凶とか
安定を脅かす存在になりえる危機感
そういう思い込みの苛立ちからか。

どっちかいうと世間の目を意識し過ぎたり
また、そこから実子に厳しく接する
場合の方が多かったりする
こともあるんじゃないか、とか。
どっちにしろギクシャクする原因には
なるでしょうけどね。

むしろ実の親子の相克する場合
骨肉の愛憎劇
なんていうのも多いものです。

きっちり統計をとったわけではないけれど
血縁の有無がそれを決定する原因には
ならないのではないかと思う。

幼児虐待事件の
たとえば、交際中の男(もしくは夫)が
しつけの名目で引き起こす虐待事件は
力による低俗な意志表示でしかなく
それを容認したり隷属したり支配されたりする
母親も低俗だった、だけであり
教育に大きな問題があると思う。

私たちは獣でもないのに
弱肉強食の理論をいつから信奉しだしのか?
近代国家を歩みだしたときからか
それとも
戦国の世の習いと言い出したときからか
律令制度実施から
大和朝廷成立前後からか

環境や条件に支配されている思い込み。
その思い込みから悲劇が生み出される。
それは絶対の、どうにもできない
宿命などではない。
「わかっていてもできないこと」ではなく
ちょっと配線を変えるだけで
その妄信は即時解消されるものだ。

だれのためでものなく
自分のため。
損得でいうならこんな損なことはなく
そういう損なことをいつまで
引きずっているのかどうかは
自分の心がけ次第ではないか、と思う。