あかんたれブルース

継続はチカラかな

タネも仕掛けもないのに鳩が!

血は水よりも(3)


だからといって血縁を無意味と
いってるのではありません。

私たちが愛を、とくに無償の愛を
気づくときに我が子の誕生とその養育は
とても重要な切っ掛けになる。

それを自ら放棄してしまう人も
多いですけどね。
もったいないというか損な話というか
悲劇だね。
関わるみんなが不幸だ。
また、母親だけを責める社会も無責任だ。

家族の絆

この言葉を受け止めるときに
『ワイルドスワン』という作品を思い出す。
このノンフィクション作品は
日本でも十数年前にベストセラーになって
いまでもブックオフで105円で売ってる。
上下巻で210円です。

舞台は文化大革命前後の中国
党の地方幹部だった清廉な父親は
なんとしたことか党の不興をかって
紅衛兵たちから吊るし上げ受ける。
その過酷な自己反省の強要から
遂に発狂してしまう。
やさしかった父親は壊れてしまった。
なんとも痛ましい話なのですが
この主人公(娘)と母と家族は
父親を決して見捨てない。
そして、その愛が父親を再生させるのですが
とても感動的なドラマだった。
わたしにとっては特にね。

現在、ベストセラーになっている
『永遠の0』また血縁のドラマではある
けれども、わたしたちを感動させたのは
そこにそれを超える人間の情愛があったから
だと思います。
たとえそれがフィクションでも
読者はその存在を確信したと思う。

亡くなった児玉清がそのあとがきに
こう書いていました。
「心を洗われるような感動的な出来事や
 素晴らしい人間と出逢いたいと、
 常に心の底から望んでいても、
 現実の世界、日常生活の中ではめったに
 出逢えるものではない。
 しかし、確実に出逢える場所がある。
 その場所とは、本の世界。
 つまり読書の世界だ。
 もっと場所を小さく限定すれば、
 小説(フィクション)の世界と言っていい」


現代人はノンフィクションを信奉し
フィクションを小ばかにするけれど
わたしはフィクションとノンフィクションの
境界線がどこまではっきりできるのか
とても疑問に感じています。

真実なんてどこにもないんじゃないか?
それをノンフィクションという言葉だけで
信奉しているところに無理がある。
むしろ、はじめからフィクションで
かまわないから希望や夢や感動を与えて
くれたほうが指針や勇気になる。

血縁もまたそれでもいいし
また、血縁の有無を言い訳にしたくは
ない。
人間っていうものは
私たちが思っているようなものではない。
よしにつけあしきにつけ

私たちは、
心を洗われるような感動的な出来事や
素晴らしい人間と出逢いたいと、
常に心の底から望んでいる。

それを否定しないで
そういう場面に出逢ったときに
傷つくことを怖れず逃げないで
望みのままに踏み出せばいいのでは
ないかと思う、
失うものなどないさ。
最初からなにもないんだから。