あかんたれブルース

継続はチカラかな

祟りじゃあ!の正体

血は水よりも(4)


うちの実家は一応「市」ですが
それはボーダーギリギリで現在は市民数も
それを割り込んでいるんじゃないでしょうか。
それでも一応村より町より大規模な市。
なのですが、
わたしが故郷にいるころクラスメイトの
誰彼と遠い近い姻戚関係があることを
母親から聞いて驚いたものです。
下手したらほとんどが血が繋がってる。
学区が地元に限定される小学校までの話で
中、高校になると次第に薄まっていきますが。

横溝正史の『八つ墓村』には
尼子一族の落ち武者狩りというモチーフが
敷かれていますが、とは別に
津山三十人殺し」という実際にあった
無差別殺人事件がモデルとされている。
この事件には村落の内部の夜這いと
村中が縁者という日本の村社会の実相がある。

手塚治虫の『火の鳥』には
ふたつのアダムとイブ型の逸話がありました。
ヤマト篇だったかな?
火山の噴火で閉じ込められた
男女二人が子孫を残していく話と
宇宙篇でも同じように子孫を残していく話。
当然、血が濃くなってしまう。

サラブレッドは三大始祖からアラブ産の馬を
改造した人工品種ですが
それをさらに近親配合することで
もっと良質な能力を発揮する競走馬を造ろう
とします。
ただし、血が濃すぎると奇形が生まれやすい。
業界用語では「クズ」といいます。

ペットのブリーダーをやっていた友人に
聞きましたが、血統がものをいうこの世界でも
かなりのリスク(クズを生む)を覚悟しないと
いけないそうです。種付け料も相当高いから。

昨年の大河ドラマ平清盛』は壇ノ浦で
エンディングでしたが、あの後
頼朝と義経(異母)兄弟は確執を極め
義経都落ちして平泉に逃げる。
このとき、立ち寄った各村落で
「御種を頂戴」で大変な人気だったそうです。
ひとつは義経の「貴種」(源氏の棟梁の血)
というのもありましたが、
なによりも閉鎖的な村社会の血の濃さを
浄化させる意味もあった。

それから三百年下った元亀天正の戦国時代
になっても「夜伽」という風習は残って
村長は旅人(人を観てのことでしょうが)
自分の娘を馳走(一夜妻)する。
サプライズおもてなしの接待風習があた。
御種が頂ければ、それもまたよし。

日本がいまだに村社会だって
批判はよくなされます。

今東光の『河内風土記』を読むと
夜這いの風習は昭和30年代まで
東大阪あたりでも続いていたわけです。

商家が養子をとって店を守った
とは別に、武家武家で養子をとって
家(名)を守った。
血よりも、家名存続を重視して。

対して、私たち現代人は
なぜ、そんなに血にこだわるのか?
貴種でもないのに・・・

それはいつからの思い込みなのか
と考えてみたわけです。
ひとつは、戦時中戦後
戦死した息子の嫁をその弟と再婚させる。
なんか筋が通っているようで
実際は近親相姦というか
兄嫁ですからねえ。

この疑問を決定的に燻りだしたのは
戦後の農地改革だ。(またGHQかあ)
大地主がなくなかって小地主が大量発生した。
これに長子相続から均等相続になったので
さらなに土地(資産)が分割されて
最終的にはなくなってしまう危惧。
目減りの法則
これだな。

こだわったのは血じゃない
土地だ。=資産。その目減り。

だからあの人は養子縁組について
「財産分与」を危惧したんだ。
なるほど、いまわかりました。

しかし気をつけないと
財産というものには負債も入っていますからね。
単純に借金だけでなく
そのツケは子孫に背負わせることだってある
ことを忘れてはいけない。

そのツケゆえに
ボンクラが育ったり、骨肉の争いのもと
になったり、いろいろある。
これもまた宿業なんでしょうねえ。