あかんたれブルース

継続はチカラかな

こら決めつけるな。

わずか2ポイントのララ(2)


(あの米国人でさえ)5人に1人が
繊細すぎて生きづらい、「HSP」という遺伝特性
某ブログで「HSP診断テスト」があって
http://kantei.am/388797/
不肖馬太郎もやってみました。結果は35点。
非常に微妙な結果で・・・
なんか自らガサツの自爆テロのボタンを踏んだ
みたいやんか(汗)

俺だってホントは繊細だ。髪質も細いし
遠慮だってするよ。静かな店が好きなんだ。
なんかくやしい。

と、ゲストブックに
>あのベッカム様も強迫性障害だって。笑
> 一緒や~嬉しい~(*^_^*)

なにい、ベッカムが・・・
お金も名声も容姿も・・・すべてを手にした
ベッカム強迫性障害だってえ?

強迫性障害とは、強迫観念+強迫行為=強迫症

外出しようと家を出て、あれ?ガスは止めたかな?
とか戸締りはしたかとか不安になって
何度も確認し直しに戻ってしまうアレよアレ。
わたしたちにもよくありますよね。
これも「確認行為」の強迫障害のひとつです。

高所恐怖症、閉所恐怖症とかわかりやすいかもね。
不潔強迫いわゆる「潔癖症」っていうのもはいる。
うちのカミサンがこれだ。
うちはホント来た人がみんな驚くほどきれいです。
きれいじゃないのはわたしだけ(汗)
だからつらいのだ(涙)。
うちは住まいだけだけど、なかには人体とかに固執して
何度も手を洗い続ける人とかいるようです。

尖端恐怖(症)はハサミとか刃物の尖った先が恐い。
釘とかフォークとか爪楊枝もダメ。

ウィキペディアから拾ってみれば
加害恐怖(症)自分が他者に危害を加えてしまう不安
被害恐怖(症)その逆で被害者意識その過剰かな
自殺恐怖(症)、疾病恐怖(症)、
縁起恐怖(症)なんていうものある。
数唱強迫(症)はこれに入るかな。
仏滅に結婚式はあげない。スルメをアタリメ

保存強迫(症)は、モノを捨てられない人。
幸子もうちの母親もコレだよ。
ひどくなるとゴミ屋敷の住人になっちゃう。

面白いのは、不完全強迫(症)だ。
「物を秩序だって順序よく並べたり、対称性を保ったり、
 本人にとってきちんとした位置に収めないと
 気がすまない!」

これが、この強迫性障害の謎を解くカギになりそうです。
わたしがこの強迫障害を知ったのは
バブル崩壊直後の三十代前半で
女性誌を担当してた頃だった。
うつ病がそろそろ蔓延しだして
社会問題化する直前っていう時期だった。
企画をもってきたのは名古屋大学の理系出身で
中日新聞の科学部の編集者でした。
彼自身が強迫障害に苛まれていたことから
企画したといっていた。
そのときは「へええ」って感じでしたが
あれから二十年経って・・・
こういう症状って大なり小なりみんな持ち合わせて
いるんじゃないかなあ。
また、上記した強迫症状以外にも
たくさんの強迫要因は派生してるとも思う。

これをただ単に過剰反応と切り捨てられない
ところが問題であって
その原因と改善のカギが
不完全強迫(症)ではないかと、ピンときた。

それは「本人にとって」という条件です。
たとえば、こういう人が麻雀をやったとすると
捨て牌が一萬、ニ萬、三萬、と続くと
どうしても次は四萬を捨てたくなる。
しかしこの四萬はドラで自身の三色同順
どうしても欠かせない必要な牌であり
それ以上に対面の親がリーチをかけていて
非常に危険な牌なのだ。
にも関わらず、四萬を捨てて案の定撃沈してしまう。
麻雀を知らない人にはピンとこないでしょうが
ま、こういうことです。

本末転倒なんだな。
「だから障害なんでしょ!」
ま、そうなんだけどさ。

でね、「本人にとって」がポイントとは
この本人さんの世界観、価値観、審美眼、経験が
大きく作用しているわけです。
この本人さんは順列とか
つまりカードゲームでいえば
ストレートやフラッシュが美しいと考え
そこに価値を見出す。
ランダムなんて許せないわけだ。
しかしこれは狭い世界観の固定観念でしか
ないんじゃなかろうか。
機械的な、人工的な配列はそういう傾向ですが
美術的な学問からそういうものが必ずしも
絶対美とは限らない。幾何学・抽象・デザイン学でも。
また、美の真髄ともいえる自然にはそういったものは
ありえないわけです。

こういった偏狭な固定観念に支配されているのは
私たちがいかに自然から遠ざかってしまったか
もしくは、狭い了見、世界観(経験則)に
囚われてしまっているか、ではないんだろうか。

わたしの知り合いに
この不完全強迫(症)の人がいます。
意外なのは、この人が自然から遠ざかっている
のではなく、むしろそれを求め渇望してる。
自然に対する反応は人並み以上なのだ。
で、よく考えてみたら
カラダがそれを求めているんだな。
つまり、野菜不足のわたしがときどき無性に
トマトが喰いたくなるように。

自然だけではなく
要はその世界観(経験則や体験ふくめて)を
ひろげることが重要なんじゃないかと。
「世の中なんてこんなもの」
という決め付けが強い世の中です。
そういうのを現実的と思って信じ込んでいるようですが
いやいや、世の中そんな単純なものではなく
とんでもない人がいるし
とんでもない事があるものです。

結局さ、問題は固定観念の妄信っていう
稚拙さが原因なのではないか
と「わたしは」思いました。