あかんたれブルース

継続はチカラかな

鬼でもあるまいし

わずか2ポイントのラララ(3)


強迫症の原因を考えてみたのですが
怖れと不安からだと思うのです。

たとえば、尖端恐怖症は
刃物と人間を殺傷するものが恐いわけですよね。
ふと、剣術(剣道)を考えてみた。
精通すれば「見切り」というのができて
たとえ真剣でもその間合いから絶対に斬られたり
しないと、わかるのでうろたえませんが
素人はそうはいきません。
知らないからだ。

知ること知識はその意味で大きな安心になる。
経験もそのひとつです。
ところが、社会が多様化複雑化するにつれ
私たちの知識や体験では不十分です。
ついつい「取りあえず」の世間一般論に頼ろうとする。
これがなかなかいい加減なんだな。
応用も利かない。
それよりなによりそのために
気を使わなければならないことがあって
自分を見失ってしまうことが多いものです。

あれ? どうだったけ?
そんな感じで
無意識のなかで生活してることが多い。
人間の記憶っていい加減で
意識がずーっと繋がっていない。
意識と意識が結ばれているだけでその間には
長ーい無意識がある。
今日一日のことを思い出してごらんなさい。
長くて15分で終わるよ。わたしは5分もたない。
少なくとも8時間は活動していたわけなのに。

心配性は臆病ということでもありますが
ある意味これは知性でもある。
臆病な子供は頭がいいのだ。想像力がある。
乱暴者の子供はアホです。恐いものを知らない。
想像力が発達していない。
臆病な子は成長とともに勇気を
乱暴な子は成長とともに知性を
養っていく。
どっちがいいとかじゃなくて、
単なるプロセス・順番です。

私たちは想像力は認めても
それを空想癖とか妄想とか夢想とか
いって馬鹿にする風潮があるものです。
その場合、よく「現実は」というお題目を唱える。
しかしこの現実というのが実は怪しい張本人だ。

想像力とは、その想像の優劣にあって
想像するためには、するための材料が必要です。
その材料が良質かどうかだ。
知識とか情報がこれだ。
よく「シュミレーションして」
という人がいるけれど
聞いてみるとその情報(材料)が誤ってるために
とんでもない方向性のシュミレーションの答えに
なってる場合があります。
どんなに考えてもその知識・情報が誤っていたら
もしくはそれが足りなかったら
また、それを正しく捉える冷静さがなかったら
(自分の都合次第だったら)
想像は不毛な作業になってしまう。

もっとも考えたり悩んでいるというよりも
ただ心配したり怖がっていたりするのが
ほとんどだったりする。

子供は成長過程で様々な悩みをもつものです。
それを解決してくれる、
ひとつの材料が知識だ。
経験もあるでしょうが、なかなか経験は
その成長に追いつかない。
だから知識を否定してはいけないんだ。
ところが、
今の教育の知識は受験に特化したもの
なので本質的な知識には実を結ばない。
すぐ忘れてしまうしね。

また、経験にしても
他者との関わりあいをめんどくさがるから
その世界観はなかなかひろがりません。
小さな世界観には様々な矛盾がある。
そうなると混乱するから
そういう矛盾は排斥するか拒絶しようとする。
ますます狭い了見のままで成長せざるおえない。
困ったものです。

山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。


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対人恐怖症は人間を知らないからだ。

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人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。
やはり向こう三軒両隣にちらちらする ただの人である。
ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、
越す国はあるまい。
あれば人でなしの国へ行くばかりだ。
人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。


夏目漱石草枕』より