あかんたれブルース

継続はチカラかな

居酒屋兆冶は許せない



人が心に思うことは誰も止めることはできない・・・

『居酒屋兆冶』三度目の感傷。
このブログでも三度記事にしたのではないかな。

わたしは、この作品が大嫌いだ。

大原麗子が演じた「さよ」というヒロインが
可哀想でつらく救いようのない作品だから

若い頃、新宿の名画座で観たとき
その理不尽を、自分の若さが故に
咀嚼できないからだと納得させてた。
あれから三十年近く経って
まだわたしは納得できないでいる。

さよは酒で体を壊し独りで死ぬ。
兆冶が駆けつけたときは既に事切れていた。
すべてが遅い。そこから葬儀、エンディングに一直線。
哀愁をこめて兆冶の時代遅れの酒場の歌でお仕舞い。
まあ原作がそうなんだから仕方ないとしても
ドラマじゃないか。
そういう薄幸の女を仕立てておいて
収拾がつかなくなって殺してしまう。
まあ、百歩譲ってそれは仕方ないとしても
なぜ、さよを独りで死なせた。
山口瞳降旗康男よ!

フィクションとは、映画とはそんなものじゃない。
悲しければ名作・芸術なんかじゃない。
ましてやそんなもの現実でもない。

なんで死ぬ前に、兆冶を間に合わせなかった。
兆冶の腕のなかで死なせてやればよかったじゃないか。
それぐら原作をいじっても山口瞳は文句は
いわなかったんじゃないかな。
ええ、無理だって?

いいんだよ。さよの弔いだ。

あろうことか、わたしの理不尽の矛先は
主人公兆冶を演じた高倉健に向けられる。
迷惑な話だと思うよ(笑)

さよを演じた大原麗子がハマリすぎたんだろうね。
あの冷たい雨に濡れて身を隠して
泣く女が忘れられない。
なんとかしろよ、健さんそこだよすぐそこ。
すぐそこにいるじゃないか。
・・・まったく不器用なんだから。

その大原麗子もさえを背負って死んじまった。

二人が別れた理由は「貧乏」だった。
貧乏は病気なのだという。
その病におかされた二人はこれほどの
仕打ちを受けなければならないのか。
純粋が罰をさらなに重くする。


高倉健という役者ほど
役柄と当人をオーバーラップしてしまう
俳優はいないと思う。

彼の別れた妻江里チエミのことを思い出す。
離婚の原因はチエミの借金といわれているが
まあ芸能業界筋のいろいろなしがらみもあったかと
想像します。
チエミも酒で死んだ。(死因は脳卒中
ウイスキーのミルク割りだってさ。
こんな飲み方、飲みたくて飲んでいたんじゃない。
酒が好きだったらこんな飲み方しないよ。
享年四十五歳。
ひとりぼっちで死んだ。

この作品は大嫌いだ。
がゆえに、この作品はわたしの往き方の
指針にもなった。
わたしの人生にもっとも強い影響を
与えてくれた映画です。変な話だよねえ(汗)


ふとさ、江里チエミの没年月日を調べてみました。
1982年2月13日。
『居酒屋兆治』は1983年11月12日の公開。
クランクインまで逆算すれば一年も経ていないのか。

健さんもつらかっただろうねえ・・・
不器用な男の不器用な歌でも聴いてやってくれ
http://www.youtube.com/watch?v=T8Hn_FzfPk0

それでも
『居酒屋兆治』は許せない。