あかんたれブルース

継続はチカラかな

私という厄介なもの



東洋思想・哲学では国がダメになる原因を
「偽」「私」「放」「奢」だという。ナルへそ。

これを四患といいますが
これは人間(個人)にも適応されるものです。
嘘偽り誤魔化し、利己自己中、放漫放棄、驕り虚栄・・・
だいたいこれでしくじる。

大方の人が、自分は大丈夫と考えるのは
この罠が、自分に都合のよい知識や情報に
塗り替えられ
仕掛けられて納得しているからだ。

そうならないようにというする
判断を狂わすのが
この四患のなかの「私」です。
もっとも、この「私」というものは他の三患のもと
ともいえる。

私が強いから偽りを犯し放漫となり驕り高ぶるのだ。
「私」=(→)「偽」「放」「奢」
であり因が「私」で、(結)果が「偽」「放」「奢」

その「私」にはエゴだけではなく
か弱き自己を守るという無意識の動機もあるので
非常に厄介なものです。

この厄介の呪縛を断つには
「己を空しくする」という姿勢が有効です。
わたしはそれを司馬遼太郎の『坂の上の雲』の
大山巌(『八重の桜』では反町隆史が演じている)の
人生後半からの生き様、訓練から学んだ。

五木寛之がこれしかないんだといった
「他力」同様に、わたしはこの「己を空しくする」
という生き方しかないんだなあと痛感する。
このブログでもそれは何度も伝えてはきましたが
これがなかなかうまく伝えられない。
ジレンマを感じる。

先日もある問題で友人と議論していたのですが
彼は喩えとして大乗と小乗を持ち出してきた。
わたしが大乗的であり、彼は小乗的なのだそうです。
本題から巧妙に論点を外していましたが
まあいいえて妙な解釈だった。
彼がその本質の重大性に気づいているかどうかは
別次元として、です。
無論、その本質とは「私」だ。

世界三大宗教
キリスト教イスラム教は救済教であり
仏教は解脱教だといわれてる。
仏教は小乗から大乗に発展した。
自力から他力も派生しました。
それでもいまだ小乗や自力が根強くあるのは
仏教のなかに解脱。往生して仏になる
という思想があるからでしょう。

そういった小難しい話は別としても
私たち現代日本人に自力思想の影響は多大で
他力の精神は誤解されている。

と同時に、「己を空しくする」も本意とは逆の
自力的小乗的な解脱のための苦行のように
思われるのでしょう。とんでもない誤解だ。

結局、他力しかない。というように
こう生きるしかないんだ。
なぜならば私たちは常に「私」というものに
苛まれている。

中島みゆきのファイトの一節にあるように
「私の敵は私です」なんだね。
幸福のあほんだら広告は即とばしてください。
http://www.youtube.com/watch?v=Cv3G7q4kT18

みゆき嬢の気配りのある慎重なアプローチ
そして、そこから生まれた熱き勇気のエール
魂の歌だね。

自分だけ、なんて
そんな思想を捨てちまえよ。