あかんたれブルース

継続はチカラかな

速攻ジョーかぶれ



本日の『八重の桜』は
新島襄オダギリジョー)の登場で楽しかった。
あんな感じだったんだろうなあと
微笑ましくながめていました。

そのなかで、新約聖書のマタイ伝の一節
「悲しむものは幸いです」が沁みた。

悲しみよこんにちは

そういう切ないタイトルの映画があった。
そりゃあ誰だってねえ
悲しみなんてごめんですよ。
それに、この一節の後に続く
「その人は慰められるから」というのも
額面通り受け取れば
それじゃあ割があわないし
慰めのために悲しみを受け入れるなんて
そんなのいやだ。

そうではなく、そのとき愛を知るのだな。

悲しみと慰めは交換条件ではない。
悲しみは一方的に訪れる。
どんな拒もうが関係ないんだ。
慰めはそうではない。
私たちは悲しみを厭うくせに
愛をみつけるのは下手なのだ。
これほど愛を渇望しているくせに
それをみいだせないでいる。

健康と同じで
人は失ってはじめてその価値を知る。
愚かなことではあるけれど
その愚かさのなかに最後に残されていたものが
愛があったとすれば、なんという救いだろうか。

もしその愚かさにも悲しみにも
それをみつけられないとしたら
これ以上の悲劇はない。

利己的なはずの人間が
なぜ他人の痛みや悲しみに心を痛めるのだろう。
関係ないじゃないか
それなのにほおっておけない
その愚かさを憎まないで
否定しないで
苛立たないでほしいのです。


なんか牧師になったような気分だまあ

「僕と共鳴せえへんか」

ははは、なんちゃって(笑)
ウナとムヒもったインチキ宣教師が
盆すぎの浜辺でクラゲにさされた
ビキニ美女に声かけて
叱られた。