あかんたれブルース

継続はチカラかな

記号で描く愛のかたち

ミネルヴァの焼豚(6)


はじめに言葉ありき

なんて有名な聖書の一節があります。
私たちにとって言葉はとても重要なものです。
が、言葉(言語・文字)は「記号」なのだという。

私たちはこの記号で愛を語り、悶絶してるのだ(笑)

象形文字というのがあります。
絵文字だよね。

小学校の低学年、あれは一年生の三学期だったか・・
教室に居残りで絵を描く紅顔の美少年の馬ちゃん
悪さをして罰直喰らってるわけじゃない。
その絵の上手さから選抜されて県のコンクール用に
運動会をテーマに一枚描けと命じられたわけだ。

窓の外では友人たちがボール遊びをしてる。
それをときおり眺めながら手を動かして、はたと
その手が止まってしまった。
おおかた描いた絵の上の半分の空白を
青い空と白い雲の秋晴れに太陽をと・・・

小さい頃、太陽って丸描いてそこから光のヒゲが
ですよね。それでいいのかと疑問を感じた。
たぶん幼稚園だったら別にそれでよかったけれど
小学校に上がって成長したんでしょうね。
そういう太陽の認識に疑問を感じたわけだ。
小さな哲学者だね。かわいい

つまり、絵さえも「記号」なんだな。
リンゴは赤いとか
チューリップの花とか
少女マンガのヒロインの瞳とか
しの字とくの字かレ字の反転したような鼻とか
熱血劇画の木刀眉とか

浮世絵みたいな顔の女がホントにいたら引くよね。
源氏物語の女だったらもっと引く。
でも昔はあれで悶絶していたんだ。
22世紀のドラえもんの友達が現代の萌えキャラ
みたらたぶんドン引きするだろう。

思い込みって凄い。

「はじめに言葉ありき」
この言葉も記号であって、それが意識を司ってる
支配されているそのイメージもその個人の観念
思い込みでしかない。
喜怒哀楽の何に喜び怒って哀しんで楽しがってるのか
曖昧でいい加減な思い込みと偏見でしかないとしたら
そう考えると、ちょっと恐い気がします。
逆にその言葉ひとつで見透かされてしまうことだって
あるわけです。たとえ誤解であっても
相手にとっては関係ない、それは真実なのだ。

子供の教育で、絵画・美術教育はとても重要だという。
しかしそれはほとんど顧みられない。
クレヨンから水彩絵の具にかわり
抽象的なイメージから写生という過程にかわり
観察する訓練が学習されていきます。

木を描く難しさを知る。
林や森はもっと難しい。
そのためのコツ、テクニックを憶えていく。
わたしはそれ以前に挫折した。
そういうものをなるだけ避けるようにした。

いまだに太陽を避けている。
眩しくてどう描いていいのかわからい。
割り切れない
大人になりきれない少年のままでいる。