あかんたれブルース

継続はチカラかな

死ぬまでにしたい10のこと

ミネルヴァの焼豚(8)


>なにかとてつもない勘違いが罷り通っている
について、考察していきます。

昨日BSで『死ぬまでにしたい10のこと
なんて作品を観てしまった。
スペイン・カナダの合作なのでハリウッド映画じゃない。
ストーリーは余命2ヶ月を宣告された23歳の女性が
幼い二人の娘と夫を残して
死にゆくまでを描いたものです。

あなただったら?
この問いかけがこの作品のテーマだ。

彼女は17歳で結婚し出産し
青春を謳歌することもなく現実の生活に追われ
夢を描くこともなく、このまま不完全燃焼のままで
自分の人生に終止符を打たざる終えないことを
さびしく思う。特に今の生活が耐えられないという
わけでもない。なんか納得いかないわけだ。

青天の霹靂だった主人公は必死に気持ちを整理して
死ぬまでにしたい10のことを書き出した。

1. 毎日娘たちに「愛している」という
2. 娘たちが18歳になるまでの
  誕生日のメッセージを録音する
3. 娘たちが気にいる新しいママを探す
4. 思っていることを言う
5. 夫以外の人と付き合ってみる
6. 男の人を虜にしてみる
7. お酒とタバコを好きなだけ楽しむ
8. 刑務所にいる父親に会いに行く
9. 爪とヘアースタイルをかえてみる
10.家族とビーチに旅行に行く

なんか切ないねえ
映画っていうのはフィクションですが
観客を如何に感情移入させるかが鍵です。
そのための方策としてリアリティーは欠かせない。
だから、この10のしたいことには
欧州と北米のリアリティーがあったと
考えていいと思うのです。
これが単にアメリカ映画だったらさほどのことも
ないのかもしれない。わけですけどね。

だから、この彼女の選択をキレイ事と評するの
あまり正しいツッコミとはいえない。
人間を欲望の塊なんて捉える思想もあるけれど
いざそういう場面に直面したらと考えてみれば
そうそう食って飲んでやってだけじゃ身が持たない。

古いSF映画に『渚にて』なんて名作がありますが
たとえ明日この世が亡びるとも種を撒く
なんて名言があるように、人間の本質って
イザとなったら逆に健全なものです。
そうじゃない人もそりゃいるでしょうけどね。

あなただったら? なにをしておきたい?


さて、本題はここからだ。
この彼女の選択に対して絶対に納得できない
という意見が5.と6.みたいです。
相当な拒絶反応があるみたいで驚きました。
実際に劇中で彼女は一人の男性と恋をする。
不倫なわけだ。

これが許せない。
そのおかげで作品のラストが悲しくなくてすんだ
なんて感想もありました。
感情移入できなかったわけですね。
「わたしとは違う」「別人種」「理解できない」
「去る鳥後を濁さず」みたいな

彼女の選択と行動に「不倫」という言葉を使ったけれど
それはやはり倫理的じゃないのか?
彼女は不貞な妻、母親なのかな・・・

「そんなことあってはならないのです!」
(またあんたか誰だよいったい?)

ここでちょっとアカデミアンナッツでもかじって

日本は儒教の影響を色濃く受けましたが
そのなかでただひとつ(孟子の)「易姓革命
だけは合い入れなかった。拒絶した。
これが中国・韓国とは違う。
要は天皇制があったからだ。だから廃止?こらこら(汗)

私たちの信じて疑わない常識は時代によって
コロコロ変わるものです。
倫理観というものもそのなかにある。
そういうのは意外と思い込みからのものです。
刷り込みといってもいい。

こういうのは世間の風潮によって作られている。
非常に軽薄なキャラで御馴染みの石田純一
「不倫は文化」といって久しいですが
あれは別にデタラメをいってるわけではなく
歴史学的な指摘です。
バブル景気から金妻以来不倫は花盛り
とは別にそれ以前から、それはある。
知らぬは亭主だけ、なんてね。
日本人がそういう点に表向きストイックになったのは
昭和に入ってからではないでしょうか。
それでも地方では相変わらず夜這いの風習は
昭和40年代まで健在だったわけです。

そういう風潮を保守的と表現すれば
現在の風潮は超保守的のまま戦後も続いている。
週刊誌のゴシップ記事の格好のネタであり
主婦の既得権益を脅かす善良な市民の敵だ!
非国民売国奴と同レベル。
水戸黄門だったら必ず最後は死にます。

ま、これは第三者の立場であって
実際に加害者になったら話は別でしょうけどね。

問題は、この映画の主人公の話であって
それは彼女の人生であり彼女の問題なのに
なぜそんなに許せないと苛立つのだろう?
無論、この映画は「あなたへの問いかけ」がテーマで
映画のキーワードは感情移入にある。
しかしである。

短編小説が原作だというこの作品は
スペインとカナダの合作として作られた。
つまり制作時にはいろいろ検討され
コンセンサスが得られ認知されたわけです。
これが日本で制作されたとなるとわかりませんが
すくなくともスペイン人とカナダ人に
問題なかったわけだ。
お国柄といえばそれまでですが
グローバルだ国際化だというなかで
このギャップはなんだろう?

なぜ許せない。
自分がそうしたければそうすればいいじゃない。
まるで穢れるみたいに、
なぜそうかまえる必要があるんだ。
なにか後ろめたいことでもあるのか?


そこに個の肥大化がある。


白紙に戻して
あなたが
余命を2ヶ月と宣告されて
死ぬまでにしたい10のことって何ですか?

それも含めて考えてみてください。