あかんたれブルース

継続はチカラかな

ふたつの自然の意味と意義

ミネルヴァの焼豚(10)


「病は気から」
そっちの方向じゃないぞ。
何度おなじ失敗をくりかえせば気がすむのか。
原点にたちもどるのだ。

原点とは「自然」だったじゃないか。

自然には、nature と natural がある。
名詞と形容詞の違いだけれどここでは
大自然とか動植物の生態系を nature(ネイチャー)
法則性の自然としての natural(ナチュラル)と大別してみる。

nature
人間の健康を害すものの原因はストレス。だけれども
ストレスのない社会などありえない。ところが、
人間は自然にストレスを感じない。
暑くても寒くても臭くても痒くても気持ち悪くても
なぜか?
自然に太刀打ちできないことを知っているからだ。
遺伝子のなかにしっかりと記憶されている。
従って人間がストレスを感じるのは人工的なものだ。改善可能だから。

人間は森に生息していた。その記憶もしっかりと刻まれている。
だから懐かしい。視覚的にも嗅覚的にも樹木の感触もすべて
懐かしく癒される。母親の胎内にいた頃の記憶と同じ。
それが脳を刺激して麻薬物質を放出する。
免疫力が向上し再生を促す。
自然を感じて恍惚状態になるのはそのため。

natural
世の中の幸運不運のメカニズムもこの自然が司っている。
自然の法則通りに流れていく。その流れを、その筋道を読む
これが大事なこと。無理筋は絶対に破綻を来たしてしまう。
ここでいう自然とは自分に適した自然ということ。
しかし、苦手意識が勝りただ逃げることは、自然ではない。
もう逃げられない状況まで追い込まれているを認めるべきなのだ。

精神疾患、心の病気、なにかしらの障害が蔓延している。
その治療法も確立されていないなかで病名だけが一人歩きしている。
その症状を分類分けし体系付ける学術。いったい君は
治したいのか安心したいのか?

ドイツ医学全盛の20世紀に森田式の創始者森田正馬は犬神憑きから
人間の精神疾患の手掛かりをとらえた。
ドイツ型の研究学ではなく治療を重視した。

なぜうつ病などの精神疾患は急増したのか?
なぜ発達障害は蔓延したのか不思議には感じないか?
これまでそういう認識が薄かったともいう。
では、その認識とはなにか? 認識すればかわるのか?
ひとつのアイデア、ものの考え方として
「大なり小なりみーんな障害をもっている」を提示した。

完全なものなどありえない。

元来日本にうつ病は存在しなかったという。それは黒船来航からだと。
現代の精神疾患は日本の近代化と共に発症している。
それ以前の精神疾患は癪と癇と憑き物だった。

なぜ、森田は日本のドイツ医学の総本山東大医学部から
あえて、憑依を研究したのか。
心の病を人間の思い込みを下手人と考えたからだ。
そして、ドイツ医学と決別し慈恵病院系で独自の治療法を生み出した。
ここでいうドイツ医学とはフロイト系心理学のこと。
森田はカウンセリングに重きをおかなかった。原因究明ではなく、
その結果現在の症状の矛盾や不自然の是正に重点をおいた。
最初のボタンの掛け違いがそもそもの間違いなのだ。
とはいっても、それが理解できたとしても何も変わらない。
変えられない。
なぜならば、時間は後戻りなどしない。
ただ、現実の今現在の矛盾を不自然を解消する、だけの話である。

現代の学術は細分化されているけれど、
それは自然科学から派生したと考えてもいい。
科学哲学と認知心理学もそのなかに含まれる。
そういったものは精神からうまれいる。感情もそのなかにある。

現代人が心の病を拡大させた大きな理由は精神性を顧みず、
合理主義や効率性だけを追い求めた。これは誤った近代化だ。
直線的な思考は効率的に思えるが、現実は直線上には存在しえない。
合理的や効率性を求めるあまり
失敗や挫折をマイナスとか損とか目減りと考えるのは無理が生じる。
ここに不自然がある。危険な思想だと思う。
それも重要な発展のプロセスなのだ。
そのプロセスがなければ、私たちは決して気づかない。
反省しない、それが愚かな人間の正体だ。

愚かである自分自身をまず認める、ここからはじまる。

病気という認識を一度あえて打ち消してみて
自分の癖、性癖。悪い癖、悪い習慣と考えてみないか。

わたしは君の悪い癖を知っている。臆病で頑固だ。
臆病は最初の発育障害だった。その成長にすこしズレがあった。
だけの話だった。
なぜならば、その後に闊達のもう一人の自分が現れた。
前者が陰で後者が陽の自我である。
本来人間はこの陰陽でバランスが取れるものであるが、陽の目覚めが
遅れたために陰と陽の間に隙間があいて連結しなかった。
その後の成長の過程や環境でそれは乖離していった。
さらに、生きるためにどうしても陽の働きを強くしなければならなかった。
陰は隠され肩越しに世間を他者を恐れながら震えてみつめている。
ここにアンバランスがあり、矛盾と不自然がある。
二つでワンセットなのに陰陽が分裂して存在している。
陽は強気に行動的に活動するけれど、その内実の陰は常に怯えている
このギャップがストレスになっただろうし、実質は臆病なままだ。
すべては内実のともなわないハッタリなのだ。葛藤しないから
その陽の行動にも意識が伴わない。魂が入っていない。
心無い言動はそこからのもので、そうすることが保身と考えていた。
抑止力なのかもしれない。しかし、
基本は臆病にある。

それを納得させるために頑固がある。我の強さはその表れだが、
そうしないと辻褄があわない。我が儘というよりも臆病なのだ。
受け入れることに過剰に警戒心が働くだけのことで
本当はどこかで誰かが上手に騙してくれたらと願っている。
無意識ではね。
食わず嫌いもそのため。
そしてそのこだわり、それは発達障害の特徴だ。
物事の優先順位がつけられない。
しかし、これ、病気じゃない。臆病という癖。悪い習慣の思考癖だ。

悪い癖をつけるのは簡単
それを直したり、良い癖をつけるのは大変
とは昔から小さい頃からよくいわれたものだけど
これは訓練、習慣だから、身につけられれば大した問題でもない。
別に苦行僧になって断食したり火渡りしたり串刺しになる必要などない。
むしろ、自身の魂や精神がそれを求めいる。
自然の自分を取り戻したいと。その悲鳴が現在の心の叫びではないか。

逃避してること、たくさんあるよね。
それを考えたくないから思考停止させている。
そりゃ脳も機能失調を起こすよ。
やさしくやさしくを求めるけれど、実際にそうされても
最後は必ず振り払う。
間合いがとれないだけじゃなく、臆病がそこにあるからだ。
そのために力で支配しようとする。
相手より有利に立つことを安心材料にする。
横暴や不遜や傲慢はここから生まれている。下手な芝居だ。

もうひとつ、それがいい女(男)だと勘違いしているのもある。
臆病がゆえに世間をよく知らない。観念や偏った情報だけに頼って
実体験が不足しているのだ。また掘り下げて考える勇気もなかった。

意識障害、本来人間の記憶は意識するものだけで確認される
しかし、人間は意識と無意識のなかで生きている。
人間はすべてを憶えていられない。
なぜ無意識が多いのか、忘れてしまいたこと、認めたくないこと、
これが多いからに他ならない。
それを指摘すれば思い出すこともあるだろう。
そういう変な、悪い癖がついている。
無意識だからって許されるなんて世の中甘くない。
言ったものやられたもののほうが傷は大きい。傷つくことを怖れるよりも
傷つけることのほうがよほど恐ろしいことを肝に銘じる。ここ大事です。

様々なトラブルや失敗の原因はそこにある。

どのみち、薬やカウンセリングで完治などしないよ。
その根性を直さないかぎり、そういった矛盾や不自然を正当化しよと
どんどん無理をして症状は悪化するだけ。

本来、臆病とは知性の源泉であってそれ自体が悪いことではない。
これは陰が司るもので、そこから謙虚というものが生まれる。
成長過程で陽が外的発散の活動を行う、これを勇気と考えよう。
しかしこれは陰とリンクしているから成り立っていて、
陽の暴走の歯止めになる。
それを伴わないものは蛮勇となり失敗を来たすのは当然自然の理。
だから、通常は匍匐前進で言動は実行される。
陰陽のバランスが取れているから慎重になる。

そこに時間差があった。
はじめてその陽の芽生え、出現に驚いたかもしれない。
小気味良かっただろう。
新しい自分の発見。しかし、それに依存してしまった
が故のボタンの掛け違いはそこからはじまっている。
陰が邪魔な存在で、陽に依存して生きるという選択。
これは間違っている。
いや、矛盾する不自然なあり方だ。
もともとまったく別なもの
ではなく、おなじひとつの人格のなかにあるもの。
陰を許し、認めてあげて、陽を許し、和解する。
ふたつを融合させる。
これで個としての自然が成立する。

愚かである自分自身をまず認める。ここからはじめようよ。
自分を肯定するために他者を否定すといった姿勢は
卑怯というよりも不自然なのだ。
不自然なことは絶対に通らない。無理が生じる。
それが心を体をすべてを破壊してしまうのだ。

疲れたら休む。
休んで少し元気が出たら自分自身をしっかりみつめる。
誠実さとは、そういうことだ。
そして、自分にあった自然をみいだすことが先決だ。
理解してほしいなどと他人に注文をつけても
誰も理解などしない、できない。
自分を理解できるものは自分しかいないのだ。
その自分さえもが自分に向き合わないのであれば、
なにもかわらいではないか。
そうだう。
しっかりしてくれよ、自分のことなんだから。
自然を大いに活用し、それを手掛かりにしてくれ。