あかんたれブルース

継続はチカラかな

情けないという現実世界

チェブラーシカと一緒に(5)


昨日、NHKのクローズアップ現代
「土下座」をテーマにやってました。
ひとつはクレーマー女が店員に土下座させた
画像をネットに公開したこと(それで逮捕起訴)
するほうもするほうでしょうが
今の世の中、しないとまた叩かれる(汗)
消費者至上主義の悪しき弊害
それを煽り立てるマスコミ

と、例のドラマ『半沢直樹』みたいですね。

土下座が謝罪の意思表示という認識は
意外と最近のことみたいで
文化的にいえば礼儀のひとつだったみたいです。

土下座もそうですが
ネットで繰り広げる論争に「謝罪」を要求する
ケースを多々目撃します。
とにかく屈服させないと気がすまないようだ。

水戸黄門で悪代官とその一味が土下座するのは
謝罪の意味じゃなくて、礼儀ですからね。
大名行列のあれと一緒。

番組内での解説でも過剰なストレスからなる
「集団」による公開処刑のひとつだと
いってました。この集団っていうのがミソだな。

多数派として少数派を排斥する。
もしくはそれに該当するはみ出し者を燻りだす。
そこで大義名分があったらしめたもの
徹底的に糾弾し叩きのめす。
こういう欲求が集団のなかに蠢いているなんて
考えると・・・恐いね。

だっていつなんどき該当者に貶められるか
わかりませんからねえ。
先手必勝か? いじめの構造もそこにあるのかも

最近では企業でこの土下座行為を強要してる
ケースが多いのだそうです。いわゆるパワハラ
力で支配しようというわけですね。

こういうのは遺恨を残すので
よくないと思いますけどねえ・・・
大の大人が、経営者、管理職がこれだ。
日本は儒教の影響を受けているので、どうしても
縦軸の上下関係でみる。
しかしこれだってこの傾向が強くなったのは
戦後じゃないかなあ・・・
なんか合点がいかない話です。

あらしのよるに』という童話があった。
アニメにもなりましたよね。
子ヤギと一匹オオカミとの友情の物語です。
本来、草食動物のヤギと肉食獣のオオカミに
友情なんて有り得ないのですが、そこはポエム
といいきれないのは、ドキュメンタリー番組で
母親ライオンがインパラかなんかの子供を育てる
のがあった。番組内では狂った母性と紹介してましたが

この『あらしのなかで』で
ヤギの集団のシビアな合理主義に冷水をかけられた。
まあ作者は確信犯としての問題提議なんでしょう。

こういう現実は食物連鎖弱肉強食の現実より
残酷なものだと思い知らされます。

しかし、いま現実に私の社会に蔓延る
土下座や謝罪を求める欲求は
はたして正常な、正当な、欲求なのかなあ?
なんか腑に落ちない。
半沢直樹』の最終回のあの土下座シーンは
原作にはなかったそうです。
それでも、それを挿入したことによって
あのシーンの瞬間視聴率は驚がく的なものだったと
製作者側が不気味がっていた。

なにかが狂ってる。