あかんたれブルース

継続はチカラかな

鬼の話2

チェブラーシカと一緒に(7・2)


平安時代の京の闇夜に出没して
人々を恐怖に陥れていた鬼の存在。
そういうのを陰陽師
たとえば安倍晴明なんかが退治したわけですね。

先月、シリーズ「屠られる羊たち」で
日本の最大の怨霊は崇徳天皇と記しました。
人間が恨みを抱いて怨霊になると鬼になると
考えられていた。

鬼は怨念の化身なのだ。

また、天皇家の敵対(恨む呪う)勢力とも考えられた。
大江山の鬼の頭領・酒呑童子とか有名です。
(大江山衆の話をすれば面白いのですが今回はカット)
いずれにしても天皇家に仇する存在の象徴だったと。
鬼道は邪馬台国卑弥呼が用いた呪術
となると、天皇家邪馬台国は別なのかな?
このへんはよくわからないそうです。

そういう鬼を祓うのも陰陽師の仕事
陰陽師というと呪術使いのようですが
陰陽学を究めた当時のテクノクラートです。

陰陽学でいう二元論は
陽は、陽光、光、ポジ、昼、男性、外へ、発散・・・
陰は、月光、影、ネガ、夜、女性、内へ、吸収・・・
と対極的なのです。
呼吸でいうと吸ってえ吐いてえ
飲酒でいうと飲んでえ吐いてえ(違うな)

人間はこの闇を恐れる。なぜか?
そこに何が潜んでいるかわからない。つまり
未知の、予測できない、わけのわからん
だから
不安と恐れがあるからだ。
そういうのが太古の昔からの記憶から脳にインプット
されているわけです。
たぶん、石器時代にご先祖様が
藪つついたらヘビが出てきて噛まれたんでしょう。
それがずーっとトラウマになって
可哀想なのはこの子でござい親の因果が子の報い
で脈々と繋がってきたわけだ。

そういうわけで、私たちは
暗闇のなかに潜む「?」を怖れているわけだ。
自分の将来とか未来とか老後とか
彼の気持ち、彼女の気持ち、友人の気持ち
暗闇の怖さにはそういう心理があります。

しかし、現代は暗闇が少なくなった。
都市部では夜中でも煌々と明るいわけです。
だから誰も闇を恐がらない。恐れを知らない。
鬼も住処を失っていった。

に思えたのですが
そういった俗世のなかではなく
人間の心のなかの闇に鬼は住処をかえていた。

人間はといえば、近代化から合理主義が信奉され
科学技術の発達から精神性を顧みなくなってしまった。
鬼なんて今じゃ子供でハナで笑う。何それ?って

はたして、そうなのか・・・
豊かになればなったで、便利になればなったで
人間は新しい闇を拵えていくものです。

特に日本は先の敗戦で戦前の価値観をすべて
拒絶してしまったわけだ。
日本的な精神的なものをすべて封印して
欧米合理主義に刷新しました。
これは明治維新のときからはじまっていました。
うつ病が黒船来航から蔓延しはじめたという話
思い出してください。
それが敗戦でトドメをさされたわけです。
履き違えられていく
自由、平等、民主主義、個人主義、権利・・・
当然そこには弊害が生まれる。

また、陰陽は呼吸でいうと吸収と発散です。
バブル期からポジティブやアクティブが推奨され
外へ外へと発散していきました。
これは陽に作用ですが呼吸と一緒ですから
吐き出したら吸い込まないといけない。

知識や哲学的な思考・考察です。
そんなものは流行らない。
悩むことはネクラと蔑まれ、嘘でも作り笑いで
周囲と合わせないといけない。
人に迷惑かけないようにと教えられました。
いい人でいないといけない。
活字離れといわれて久しいのですが
忙しくて本を読んだり考えたりそんな暇はない。
テレビとケータイとネットがあれば十分。
あとゲームとマンガかな

知識は発散するための理論武装のためです。
それは攻撃のため。もしくはそれをかわすため。
私たちは吐き出す一方で
内面的な充実が追いつかない。
そこに隙間が出来ていく。

鬼はそういうところを住処にする。
まるでゴキブリのようです。
そしてその不安や怖れを誰かのせいにしたり
必要以上に自分を苛んだりさせる
隙間がどんどん大きくなって
やがて鬼が支配するようになるんだ。

自分だけが、と嘆かせて
自分だけは、と焦らせて

ほら、あなたも・・・
夜中の2時22分に一人で鏡をみてごらん