あかんたれブルース

継続はチカラかな

ストレスを食う民の病根

For Beautiful Human Life (4)

見過ごされてきた家畜たち〜知られざる命
http://www.youtube.com/watch?v=zNPH3zrMQoo

動物調査への慈悲:死の工場式畜産場 1
http://www.youtube.com/watch?v=H-9T3ArdC7k
http://www.youtube.com/watch?v=YOM7TYQr--4

生命の叫び 畜産産業の実態
http://www.youtube.com/watch?v=43IAfDwFepA


敢て、屠殺シーンなどショッキングなものは避けました。
ここで伝えたことはそういうこではないのです。
こういった畜産現場の状況は外国の出来事
だと思いますか?
日本はこんな感じです。
http://www.youtube.com/watch?v=BsEZhVo1x2M
まだ、マシなのかもしれませんね。
なにを基準にそういうのか、不思議な感覚だ。

わたしは、ベジタリアンになれとか
宗教がかったキレイ事をならべてどうこう言おうと
思ってるんじゃない。
人間として胸が痛むのだ。

それさえ、許さない人たちがいる。
「人間が生きるために仕方ないことだ」と
「じゃあ肉食うな」「牛乳や卵食うな」と

そうじゃない。なんでそう苛立つんだ。
わたしはそういった稚拙な是々非々論を
議論したんじゃない。

以前、あれはウルルンだったか何だったか
ドイツの農家に本場ソーセージ作りを体験するため
ホームステイした女性タレントが
豚を潰す現場を目撃して、そのショックに
取材を忘れて取り乱してしまった。
現代人にとって生肉や加工商品はスーパーで
パック詰めされたものとしか認識されず
そのもとを想像することさえなくなってしまった。
仕方ないことです。
彼女がタレントとして、どうかという以前に
まあ、その感覚は「普通」なんだとも思います。

オリンピック誘致のプレゼンテーションで
滝川クリステルの「おもてなし」という言葉が
強くアピールしましたよね。

日本には食事をする前に「いただきます」という
祈りの言葉を捧げる風習がありました。
摂取する生き物に対する感謝の気持ちです。
こういったことは、別に日本に限らず
世界共通にある認識です。
そこに宗教云々をいう必要などない。

そして食べ終わると「ごちそうさま」という。
そういう風習がすっかり廃れてしまいましたよね。
みんなで一緒に食卓を囲むことさえ少なくなった。
当然のようにクチに運ぶ作業になってしまった。

上記の動画のナレーションに動物たちの尊厳という
フレーズがありました。
それに反応して鼻を鳴らす者のいるでしょう。
わたしが、むしろ心を痛めるのは
人間の尊厳についてです。
精神性の失墜に対して、危惧し、悲しくなってしまう。

ここには、資本主義、経済至上主義、競争原理、
需要と供給、自由主義など、様々な現実主義という
ものが立ちはだかっている。
それはとてつもなく巨大で堅固で厚く重い壁だ。
立ちすくんでしまいそうです。
かといって、
わたしは共産主義でも社会主義の信奉者でもない。
イデオロギーの問題じゃないんだ。
そんなものはもう過去の亡霊だ。
寝ぼけてるんじゃない!

人間として、
そこまでして食わなければならないのか?

という素朴な疑問から、まず途方に暮れてみる。
まず、感じて、そこから考えてみます。
それが昭和30年代生まれの人間の素朴な感覚だ。
今朝の記事にも書きましたが、ひと昔前まで
こんなに肉は食わなかった。卵も高かったし
牛乳も1リットルパックじゃなく牛乳瓶で
毎朝1~2本宅配で届けられるものだった。
給食では脱脂粉乳だった世代だかんね。

牛肉のすき焼きも御馳走でした。
まさか、40年後にすき焼き丼(牛丼)が
こんなに手軽に毎日食べられるなんて
考えもしませんでした。

豊かになった。

確かに日本は豊かになった。
しかし、そこまで牛丼を食う必要があるのか?

ハンバーガーを、ハンバーグを、唐揚げを、
ファミレスでファーストフード店でコンビで
そしてスーパーで。
それって、本当に豊かなの?

資本主義には過剰生産といのがついてまわる。
大丈夫、それはコスト計算に入ってますから
企業が損する心配はご無用。価格設定に入っている。
そのぶん、効率的に合理化が先鋭化していく。
資本主義はあくなき利益の追求。これが企業努力だ。
そして、業績は常に右肩上がりでないと
投資家は納得しません。
これが資本主義の最大の特徴であり、
決定的な問題点だ。
みんなわかってる。わかってるけれど
もう後戻りできないんだ。

そうだろうか?

少なくとも、
私たち消費者は立ち止まることはできる。
それが、食の安全というキーワードだ。
そんなもの食ってて本当に大丈夫なの?
第一に健康以前に
神経、精神やられてるんじゃない?

こういうことを記すと危険を煽ってるとかいう。
そんなに安全だったら別にいいですが
別に煽って、180度改心しろなんていわない。
そんなことできっこないじゃないか。

少しは心が痛まないか、というこであって
もしそうじゃないというなら
グルタミン酸かなにかで
脳がいかれてるんじゃないと思うよ。

肉食うなとか菜食主義になれなんていわない。
魚だって農作物だって危ないわけです。
そういうものしか食べるものがない。
そういう世界です。
だから、問題じゃないの?
仕方ないじゃ済まされないんだぞ。
施政者みたいなことをいうなよ。

すこし謙虚になるとか、自重してもいいんじゃない。
そこまでして食べることもないと思うよ。
ダイエットしてるんだろう。
健康のこと気にしてるんでしょう。
ストレスたまっているわけじゃないか。

因果応報っていうものがある。
これ、迷信とかじゃなく、科学の法則だ。
過剰生産と効率性で必ずロスが生まれ
廃棄処分がなされる。
それが飼料となって、それがまた
最終的に人間に摂取させます。
人間は食物連鎖の頂点にあり続けるわけです。

動画観たでしょう。家畜たちはクスリ漬けだ。
病気持ちだしストレスいっぱいだ。
そういうものがリサイクルされて
私たちに戻ってくる。
まさに因果応報だ。
毒を家畜に食わせてもなくならない。
その家畜をまた私たちが食っている。
そのことを、
私たちはなにも感じなくなってしまってる。
すでに神経やられているのかもね。
放射能だって土に戻しても除去できないから
騒いでいるわけです。
中学生でもわかる話だと思いますけどね。

ほんの少し、考え方を改めて
気遣うところを変えてみるのも手ではないかと。
正味期限とか、安さだけじゃなくて。
安全という付加価値を
価値基準の優先順位の一番に置き換えてみる。
それだけで、生産者側の対応は変わるよ。
規制や指導やあてにならない法的措置より
強権の外圧なんかよりも、
効果的なメッセージだと思いますけどね。

生産しても売れなきゃ話にならない。
米国の自動車なんて売れなかったじゃないか。
中国の餃子買う人いるのかね?
資本主義の鉄則を逆手に取ればいいだけの話で
こういった毒を撒き散らしている共犯者は
実は私たち自身だってことを、
反省すべき時機なんじゃないと。

じわじわと精神を病み、そして肉体も蝕まれていく。

そこまでして生きる意味ってなんだろう。
「生きるために仕方ない」という詭弁なんて聞かない。
ほんのすこし、
考えを改めてみるだけでいいんじゃない。
なんでそんなに拒絶反応を示すのか
家畜があれじゃあ可哀想だろう。
そういうことを考えないことが知性だなんて
到底、論外、虚勢の張ったりもいいところだ。

わたしはハンバーガーとかハンバーグは
好きじゃないから食べませんが
とんかつは好きです。食べなすよ。
チキンナゲットは絶対に食べないでしょうが
もしかしたらケンタッキーは年に一度ムラムラ
食いたくなるから食べるかもしれない。
焼き鳥も好きです。好みは塩です。
そういなかで、すこしだけ改めてみたいと思う。
個人個人の話ですよ。

そして、食事の前は「いただきます」と
感謝の気持ちを祈りに託し
食事が終わったら「ごちそうさま」と
感謝の気持ちを伝えます。

人間であること、人間の尊厳を守ること
「生きること」とはそういうことであり、
生きているんじゃなくて、
「生かされている」ことを知る、確認するって
いうことはそういうことなんじゃないの。
そういうことを忘れてしまっているから
精神も肉体も蝕まれていくんじゃないかな。
まず、そこからだと思うよ。