あかんたれブルース

継続はチカラかな

健常者が棲む異常な世界

インディゴ酢豚らんち(2)


わたしは、大なり小なり
みーんな「うつ」という表現を意図的に用います。
本人はいい意味でのアプローチのつもりですが
これがなかなか、不徳の致すところで
受け入れられない場合が多い。

同じことが
みーんな「アスペルガー発達障害」というのにも
あるわけだ。無神経、心ない、冒涜
と捉えられるようです。

困ったものです。
「うつじゃない人にうつを語る資格はない」
という抗議に似ている。
じゃあうつ同士で仲良くやっていなさい。
なんていえば大変なことですね。
まさに腫れ物だ。
「がんばれ」なんてクチが裂けてもいえない。
言葉、単語の問題じゃない。
その言葉を発するものの気持ちの問題
信頼関係、場面、タイミングだといっても
なかなか聞き入れてもらえません。
ようやく、最近になって少し変わってきましたけれど
この医療マニュアルの流布の弊害は長く大きかった。

わたしがこういう発想をもつのは
「障害」とか「正常」とかを判断する基準
つまりは常識に対する懐疑があるからだ。
それには若い頃観た
まぼろしの市街戦』という映画と
『ワイルドスワン』という
ノンフィクション本の影響が大きいと思う。

まぼろしの市街戦』はある兵士が任務で潜入した
戦火のでうち捨てられた精神病院のなかで
現実社会の異常(非日常)と
この入院患者たちの共同体の日常平和を比較して、
どちらが人間らしい社会であるか
という問題提議をあたえる作品でした。
戦争のなかの狂気
それは過ぎてしまえば、反省もするでしょうが
その時の当事者はそのなかでそれを現実として
それを受け入れ生きざるおえない。

『ワイルドスワン』の舞台は第二次大戦後の中国
主人公の父は共産党幹部でしたが
文化大革命のうねりの中で、狂信的な紅衛兵
扇動された暴走する民衆によって吊るし上げにあう。
理不尽な自己批判を強要され
そして、次第に精神が壊れていくのです。
清廉で真面目で正義感の強い
やさしかった父親の変わり果てた姿。
作品ではそれを家族の愛情で修復させられる
それはとても感動的なドラマでした。
と、同時に
あの文化大革命という狂気の世界で
誰が正常で誰が異常だったのか
どうすれば、それから逃れることができたか
その狂気に迎合することか、もしくは密かに
息を殺してその狂気の嵐が過ぎ去るまで
姿を隠しているしかない。
恐いなあと痛感した。

うつ病を発症する人にはそれぞれの閉塞感が
あるものです。それをうまく解決できない。
しかし、解決することだけが、絶対じゃない
解決できないことにはそれなり理由があって
それは、その環境、その問題自体に問題が
あるのではないか?

アスペルガーも「社会性」の低さを指摘される。
それはひとつの発達障害であるといえるでしょう。
それはそれとして、だ。ただし
その社会自体が異常な、不自然な、狂気の社会
であったとしたらどうだろう?

そうじゃないといえますか?
モラハザ、いい加減なご都合主義と事なかれ主義
嘘ばっかり、無責任、悪意といじめ、利己主義、
競争原理の信奉、自分さえよければ、ズルばっか・・・
みんながみんなこうじゃないですが
こういう人が多くて、こういう場が多い。
こうい人じゃない人は
いつも傷ついたりさびしい思いをしている
もっと楽に生きるためには上手にあわせて生きる
もしそれが社会性というのであれば、皮肉ですね。

まあ、それは訓練というもので
うまくやっていかなければならいし
それ以上に、それ以前に、そういう環境や社会を
変えていかなければならない。
それがなかなか難しい、キレイ事だと批判する
けれどもそれしかありません。
それが私たち人間の使命だもの。

でね、そこにインディゴチルドレンという
ひとつのアイデアがあります。