あかんたれブルース

継続はチカラかな

人間にしかできないこと

豚カツと思うな思えばチキンカツ(2)


働けなくなる世界

まるで近未来SFの世界のようです。
現在は労働が生きる義務として課せられている。
それが肉体的にも精神的にも苦痛を
強いられています。
ここには働くことが損という考えがベースにある。
その(当然の)代価として
賃金を得ているわけですよね。

こういった発想はマルクスが労働という
行動(エネルギー)を雇用者(資本家)に
正当に換算させようという哲学・思想から生まれた。
産業革命以来の資本主義に対する
交換条件だったと思います。

その労働に対する対価が正当かどうか?
争点はここに集約され、対価は「お金」で
換算されてきました。

(労働の場が激減すると予測される)
先の世界では
もしかするとお金を払って労働を求める
そんな世界になるかもしれない。
ジョブ型雇用のジョブにはそんなニュアンスさえ
イメージしてします。

逆説的なシュミレーションですよ。
勿論、それで生きていけるという前提です。
そうじゃなかったら、最初から(国家も)
すべて破綻する。


そこまでいかないまでも、もうすこし手前で
私たちは「勉強」をこの労働のように
苦行、苦痛、我慢して習得するものと考えています。
それを我慢して、ある権利資格を取得すれば
ご褒美を得られるという学歴神話がありました。

ところがそれが崩壊した。(←過去形)
それでも「とはいっても」となかなかそれを
受け入れない人は多いものです。
ま、それはその人の自由ですから
他人がいちいち説得してまわることじゃないし
いくらいっても信じないでしょう。
本人が痛感するような何かが起こるまで。

ひとついえるのは、別にこの事実が
秘密にされてたわけじゃないんですからね。
そのとき、
「こんなことはあってはならないのです!」と
いっても仕方ないということだ。

学ぶことの苦痛と働くことへの苦痛
これを考え合わせてみると面白いです。

本来、学ぶということは楽しいことだった。
そこに好奇心という欲求があるわけですから
それを満たしてくれるわけだ。
三、四世代前は怒られても隠れてでも
学んでいたものです。
すべてが欲と道連れだったわけじゃない。
それがここまで嫌がられるなんて・・・不思議だね

では、働くってことは?

人生において楽しく働けるって
こんな幸せなことはない。のだけれど
そんなことをいうと現実的ではないと叱られる。

楽しく働いたほうが効率上がりそうだけれど?

楽しい=怠ける、適当、いい加減

という図式があるんでしょうね。
完全に性悪説になっている。
これは教育でも同じ。
管理し締め上げないとやらない。
という固定観念だ。

管理社会とか、いじめや体罰はこういった
基本発想、常識の固定観念から生まれた。

でも実は、楽しくないから怠けていい加減に
なっちゃうんじゃないか。
楽しかったら、いわれなくても
一生懸命やるんじゃないか?

失敗例は旧ソ連天安門事件以前の中国に
また、うまくいってる例には北欧の場合が
考えられます。
決して、米国や日本がうまくいってるわけじゃない。

さて、10年後は働く場を奪い合うようになる。
可能性の話ですよ。
安い賃金でもいいから仕事をしたい。
(多分所得税が高いから)
それでも仕事したい! みたいな世界かな?
働かなくても生きていけるのに
働きたい人が出てくるわけです。
働きたくない人は別にいいです。無理強いはしない。
生きがいかな? 
よろこばれたい。必要とされたい。
そういうのもあるから仕事が楽しい。

しかし世の中には楽しくない仕事もある。
と切り替えされてしまうことでしょう。
確かに人の嫌がる、それでもどうしても
やらなければならない仕事があるものです。

19世紀の社会学者はそれで困った。
たとえば糞尿の処理。
相当アタマを捻って出した答えが
「子供にやらせる」
なぜならば、
「子供はうんこが好きだから」という
立て板に水の真理ような答えです(笑)。
教育としてはアリかもしれません。
私たちはすっかりうんこが悪だという
固定観念に染まっています。

でもさ、今は19世紀ではない。
汲み取り式の車も巡回したりなんかしない。
機械化IT化は現在進行形です。
そして予測する近未来はほとんど人手が
いらない時代ですよ。
さらに科学技術は発達してることでしょう。

そんななかで、
何を人間がしなけれなならないか?
ロボットができてロボットにできないこと

人間にしかできないこと

人を生み育み愛すること


これだよ
決まった(笑)

さあ、今日も一日がんばりましょう!