あかんたれブルース

継続はチカラかな

なぜ赤ちゃんボストは怪しからん?

I&U研究所(残酷な話-1)


最近どうしたことでしょう
わたしがテレビのスイッチを着けると
赤ちゃんポストの番組に遭遇する。
いまもそうでこれで3回目。

明日月曜日九時から薬師丸ひろ子主演のドラマに
関係しているようです。いわば番宣なんだね。

『Mother』でもそうだったように
わたしはこの手の話に弱いのだ。
それがフィクションでもノンフィクションでも。

赤ちゃんポストは熊本の慈恵病院という
いち民間医療機関が2006年に始めた活動で
「諸事情のために育てることのできない新生児を
 親が匿名で養子に出すための容器、
 及びそのシステム」
 通称「こうのとりのゆりかご

当初からこの活動には賛否が分かれました。
当時の(安倍)総理は「理解に苦しむ」と発言。
しかし(柳沢)厚生労働大臣は理解を示した。

また、その後にその悪用が話題にもなった。
倫理と原則論、そして現実の間で
私たちは悩んでいる。
ときにはそれを煩わしく考えて憤ったり
割り切って「御英断」を唱える人もいるけれど
そこに納得できるものが見出せない
私たちほろほろ族がいる。

泣くな小鳩よ
妹よ

現在、日本の流産率は約45%だといわれます。
ここまで医療が発達したなかでのこの比率の高さに
驚かされないか!
そこからその原因に環境が関係していると
考えるのは自然なことだと思わないか。
「食の安全」というここでのテーマは
そこから発せられたものですが
また、そこから生まれた子供たちには
さらなる様々な試練が待ち構えているわけだ。

幼児虐待、育児放棄など
聞くに堪えられないつらいニュースが
私たちの心をさびしくさせる。
電車の週刊誌の中吊りには「鬼母」という
活字でそれを糾弾している。

確かに非道い母親だ・・・けれども
はたしてそれをこの愚かな母親だけのせいに
していいのかと疑問に感じるのです。

「子は国の宝」という。

世間体を気にするこの国でも離婚率は急増している
そのなかで、多くの場合に子供は女性が育てる。
シングルマザーという存在がそこにあるのですが
国はそれをあまり顧みない。
増税は福祉の充実を訴えるけれど
皮肉なことにそれが彼女達を追い込んでもいる。
そこには正論という名の倫理とか原則論がある。
厄介な問題ですが
その厄介さには想像力のなさ、ご都合主義という
ものがあることも忘れてはいけないと思うのです。

赤ちゃんポストの諸事情のなかには
『経済的』な問題が大きく横たわっている。
まんべんなく福祉を充実させる公平さのために
多くの悲劇があるのですが、
それを解決できない現実に対して、
私たちはあまりにも非力なのだ。

様々なケースがある。
親としてあまりにも無責任な人間も多い。
けれども
加害者である彼女達だけを糾弾する風潮に
腹立たしくもあるのだ。
事そこに至らせないための方策に努めない
この社会の在り方、考え方、気配りのなさに
憤りを感じるのです。

無責任な思想に支配されている。

自分に関係ないことはその他の煩わしい些末な事
そう割り切ってしまう合理的な発想が情けないのだ。
それはとても残酷な思考技術だと思う。

わたしはこういった問題が少数派の
愚かなものたちの、運が悪い人たちの
特別な、他人事の、煩わしい問題とは思えない。

また、それに感応して泣くものを
嗤ったりするする者たちに憤りを感じる。
わかったようなモノ言いで
物分りのよい体裁で話をそらす連中が
許せない思いに駆られる。
空海が怒りの仏像を持ち帰った意図が
わかるような気がする。

成人した生殖機能のある男と女であっても
精神的に経済的に未熟な者たちに
たとえ罪はあったとしても
生まれてくる子供たちにはなんの罪もない。

「子供たちは親を選らんで生まれてくるのです」
なんかこの言葉が気休めに聞こえて
ときにとても残酷に聞こえる。

私たちが心を痛めるのは
なんの利害関係も血縁もないないこの子供たちに
心を痛めて同情し泣くことは恥しいことじゃない。
それを嗤ったり恥しいと思わないでほしい。
関係ないなんて割り切らないでほしい。
そういう思想や環境がよけいにさびしくさせる。
それが残酷というものであり
「現実は残酷だ」という似非格言の正体だ。

現実とは、歴然と存在するこの世の法則ではなく
私たちが生み出した人災だ。
そういう負の連鎖をどこかで断ち切らなくてはならない
それが私たち人間に課せられた使命だと思う。
そのために私たちは魂を揺さぶられているのだ。
そういうことから逃避したり性急に答えを出そうと
思考停止してはいけないと思うのです。
それは残酷な思考技術だと思うのだ。

少子高齢化は私たちが抱える大きな社会問題だ。
これは税収だけの問題だけではなく
日本の社会構造の問題であって
それは経済的な問題だけではないんだ。
それにはやく気づかないと
もっともっと悲劇は拡大していきます。
私たちの「幸せ」の危うさでもあると思う。
そういうものを自分だけは避けられるなんて
願っても努力してみても
それは非科学的なことであって、
とんでもない思い違いだ。