あかんたれブルース

継続はチカラかな

カマキリに見習え

I&U研究所(残酷な話-9 お人好し)


どんなに憧れても原田芳雄にはなれないのですが
竹中直人だったらなんとかならないか
と、竹中直人は色気があるのか?

ある。

『ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う』
(1993年の映画『ヌードの夜』の続編)
の主人公・紅次郎は色気プンプンだ。

この作品、『冷たい熱帯魚』に匹敵するぐらい
残酷な作品です。
この絶望的な作品を「救済」してくれたのが
魔性のミューズを愛してしまった紅次郎の涙だった。

次郎さんは泣くのだ。

かっこよくなんかちっともない
お人好しはバカで間抜け
そんな神話に靴を投げつけた石井隆
「お人好しの探偵」
このニューヒーローの登場は
原田芳雄になれなかった僕たちへの救いであり
Polaris”のような導きなのである。
因みにこの作品の英語タイトルの
”Salvation”は「救済」の意。だそうです。
監督・脚本の石井隆とは男子の飯屋だ。
石井さん「おかわり!」

”我々の異性は女性です!”
なんて昔、資生堂ブラバスのCMコピーが
あったものです。

我々日本人男子は「泣くな」と教育された。
人前で泣くな。泣いてもせいぜい一生に3回。
感情を露見させてはいけないという
そういう教えを背負わされてきたのだった。

まったく不自由なものを背負わされたもので
司馬遼太郎さんいわく
たとえば幕末の頃の日本人男子は
「よく泣いた」といいます。
志士はよく泣く。漢はよく泣くのだ。
ただし、自分のことでは泣かない。
そのことをちゃんと教えないといかんだろうが!

だからでしょうかねえ『八重の桜』で
山本覚馬にいまひとう感情移入できないのは
脚本家も役者もわかっていない。
上手い下手の問題ではなく。
武士というものを勘違いしている。

これこそ日本の教育の誤り、過ち
だったんだと思いますよ。
それは戦後以前からの話としてね

いまだったらね、フェミニズムから
ジェンダーフリーで色々ケチはつけられても
ケチつける相手が相手だけに
あんまり説得力がない。

「後で泣きをみても知らないぞ!」

意地悪な物の言い。
叱咤激励?
励ましなのか責任回避なのか
突き放されたようで、さびしいよね。
別にいいけどさ

一般常識として、泣くことは失敗なのだ。
だけどさ、だからこそ価値がある。
森田童子「男のくせに泣いてくれた」
http://www.youtube.com/watch?v=fge_f3Z2RBg

わたしのミューズよ
泣かないでおくれ
君が泣くとわたしも悲しくなっちゃうじゃないか

いっけねえ 愛しちまったぜ(汗)

http://www.youtube.com/watch?v=fa0BI7xvE1I

なんか続きが気になりますが(笑)
さて、
『ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う』の
キャッチコピーは

  女は汚れた自分の人生を、
  どんな手を使っても“削除”したかった。
  男はたとえ彼女に殺されても、
  彼女を救いたかった。

この愛の残酷はとても甘美である
が、藤山寛美ではない
ことを付け加えておくべきかどうか
悩んだ時は行動することにしているのですが
このやさしさは残酷ですか?