あかんたれブルース

継続はチカラかな

清いかそれとも汚いか?

I&U研究所(残酷な話-9 血と掟)


勘違いのコーザノストラで
マフィアについて一席
といってもコーザノストラとマフィアは
若干ニュアンスが違うようですね。

半月ほど前にアル・カポネの自伝を
放送していました。
カポネはイタリアンマフィアの代表選手です。
といって、
彼も生まれたときからギャングじゃない。
そこにはアメリカにおける
イタリア人移民に対する差別があった。

人種の坩堝といわれる自由の国アメリ
この大国の短い歴史は移民による
階層によって成立っています。
それはWASPが頂点に君臨する
カースト制といっても過言ではない。

よく、ユダヤ人がアメリカを支配していると
いう陰謀論者がいるけれど
彼らにとってWASPの存在はどのようなもの
なのだろう。
白人でアングロサクソンプロテスタント

最初の入植者スコットランド人にとって
同じアングロサクソンでも
ドイツ系移民さえも差別していたほどだ。
それがアイルランド系がやてきて
ようやくドイツ系の警戒が解ける。
次に、イタリア系が、ポーランド系が、
そしてスラブ系がやってきて
その差別の階層が段々に積み重なっていったのが
アメリカの歴史です。

その階層の外に
黒人差別とユダヤ人差別はあった。
1950年代のアメリカ映画では必ずといって
いいほどユダヤ人は問題視されている。
黒人が映画のなかで市民権を得るのは
1970年ぐらいからではないでしょうか。
黒人のシドニー・ポワチエ
アカデミー主演男優賞を受賞した以降からかな
いまでは、作品に必ず黒人のキャラを配している。

同じ白人でも、同じキリスト教でも
プロテスタントカトリックで差別がある。
アメリカは絶対的にプロテスタントなのだ。
だから『ダビンチコード』という映画も製作
できるわけです。
ましてやユダヤ教を信奉するユダヤ人なんて・・・

因みにアメリカ大統領でカトリック
ケネディーだけ。
また、マフィアはカトリックですからね。

アメリカの財閥を象徴する
ロックフェラーは典型的なWASPだ。
JPモルガンの妻は牧師の娘だよ。
アメリカの財閥でユダヤ系の代表は
サッスーン財閥です、

ユダヤ人とは人種ではなくユダヤ教信者であり
それは母系から成立つ。
フォードがどれほどユダヤ人を唾棄したことか
それは赤狩り以上に熾烈だったのです。

そういった差別と偏見と不安のなかで
自警団をつくって開拓されていったのが
アメリカの歴史です。
そのコロニーにイタリア系シチリア出身の
マフィアという村社会がある。
禁酒法の時代に、彼らは差別の障害を打ち破るため
様々な反社会的な経済活動にも手をそめていった。
『ゴッドファザー』シリーズなどで
それはこと細かく描かれていましたね。

こういったコロニーというか
ファミリー、一家というか
共同体というものは
差別を受ける弱者の自衛手段として誕生したわけです。
人種的に一発で識別されるアジア人は裏組織ではなく
チャイナタウンとかコリアタウン、日本人街を
生み出していく。
また、長く満州民族に支配され華僑として
海外に進出した漢民族の中国マフィア・秘密結社は
青幇などから蛇頭などに変容して様々。

そういうことを考えあわせて
日本の「村」社会という特徴も
このある種のマフィア的なものなのかなあ
とも考えられる。
薩長藩閥会津も福岡玄洋社も土佐の立志社
学閥でいえば東大医学部閥も
『八重の桜』の同志社出身者も
三田慶應の福沢閥も
良し悪しは別にして、そういう絆があった。

しかしそれはもう100年以上も前のことで
いま、地方出身者の根っこの会なんて流行らない。
わたしはこれまで一度も参加したことないし
お呼びもかかりません。
また、横浜と千葉と国分寺に親戚がいますが
まったくの疎遠です。
希薄になってきているんですね。

ユダヤ人がアメリカを、世界を支配してる
という錯覚はこの関係性の希薄さからで
要は利害が優先しているってことでしょうね。
一部の金持ちとその他大勢の貧乏人
という格差から生まれた幻惑なのだと思う。
従ってイスラエルという国とイスラエル人と
いうのは見捨てられた捨石のような
利用されている国家であり国民なのだ。
ユダヤ人は太古の昔からそういう性質で
ユダヤ人をユダヤ人が差別迫害する。


日本において、よく
会社組織の村社会というのが
批判されたりしますが
これもなにか実態があるのかなあ
と疑問に思える。
ホンダが家族的組織だった時代はもう伝説。
出光佐三武藤山治も過去の人
年功序列や終身雇用制が否定されて
成果主義やリストラが横行する現代社会で
そういうものを信奉する人がいるものか?

ところが、いるんですね。
それが今朝の記事にした自衛隊、つまり
公務員の世界だ。
親方日の丸の世界です。

そういうのが愛国の担保だとしたら
なんか・・・微妙だなあ

古市憲寿がテレビのトーク番組で
愛国というテーマで国家にそれを持つよりも
むしろ会社組織のほうを選択すると発言し
ヒンシュクを買いました。
まあ「そういう」会社であればってことでしょうが
しかし、そういう会社とか共同体が
実際にあるのかどうか?
結局それは古市憲寿の机上の頓知でしかなく
小僧のハッタリだ。
そういうのを大の大人が持ち上げてはいけない。

そういうものの最小の関係が血縁にあると思う。
やくざ世界でも、擬似家族を構成するのに
盃事で血縁関係を結びます。

しかし、その血縁さえも
擬似ではなく、ホンマものの血縁でさええも
非常に危ういのが現代社会だ。

子殺し親殺しだけでなく
介護という問題で喉元に突きつけられいる
この現実を誰が否定きるのか?

以下は、皮肉ですよ。すくなくと半分は。
わたしは、自衛隊や公務員や官僚の世界が
うらやましい。
そこには互助精神が生きている。
ときには生贄にされるものいるけれど
その犠牲でみーんなが安泰に生きていける世界。
それがあるんだな。まだ。

国破れて山河あり
はたしてそこに公務員ありやなしや


血は水よりも濃い
という言葉に対して、うちの地元では
「血より汚いものはない」という言葉がある。
たぶん、この汚さ穢れは「煩悩」を
意味するのでしょうが、
なんとも含蓄のある格言です。