あかんたれブルース

継続はチカラかな

生活環境汚染と悪い癖

うつろいやすいのは世の常(6)


結局、様々なリスク、弊害を考慮して
投薬治療を完全否定した場合には、
それにともなう症状と戦う我慢比べに
なってしまうわけだ。

かといってわたしみたいに
自ら自分で実体験して・・・での試行錯誤では
危険も多いと思います。

よく「信頼するお医者様によく相談し」
なんてことを聞きますが
それは信頼する医者がいた場合の話であって
そういう医者とめぐり会えたひとは幸運です。
色々な医者はいるでしょうが
中韓同様にすっかり信用を失っている。
それに対して異義があるなら
日本医師会は襟を正して
まず信用を回復させることですね。

で、そんなことよりも
向精神薬を否定してどう乗り切るか
回復するかです。
脳の機能がおかしくなってるわけだから。
しかし、臓器としての脳が変調をきたしのには
理由がある。そのオオモトの元栓を
出しっぱなしにして機械本体の脳をいくら
イジッテもキリがないと思わない?
向精神薬の弊害はそこにも原因がある。

以前、紹介した森田正馬のこと憶えているよね。
森田が投薬治療をしないのと同時に
カウンセリングさえもやらない。
大事なのは現在の矛盾(不自然)にあり
それを直すことが病を治すことだとした。
この森田療法は現在でも信奉、支持されている。

このカウンセリングの否定は
たとえ原因がわかったとしても
「わかっていてもできないことがある」
からでしょうかねえ。
患者のタイプにもよりますが
最初のボタンの掛け違えである原因の究明は
わたしは効果があると考える。

わたしは、自律神経失調からはじまる
うつなどの精神疾患生活習慣病だと考えます。
ここに「環境」と「癖(習慣)」がある。
この癖には固定観念や価値観、一般常識といった
社会「環境」と関係している。

そこにはアイデンティティーの希薄さが関係する。
マツコやうさぎの話をしたのはそのためです。
が、彼女たちは強者なのか?
卑怯な弱者の多数派は「イロモノキワモノ」とは
するでしょうねえ。

ただし、マツコやうさぎは決して強者ではない。
戦っているのだ。

それを「勇気」として
ああいうふうに行動しなければならない
じゃあダメなんだよな。
それは「イジメをしちゃだめ」と同じで
絶対に何も変わらない。
そんなことみ~んなわかってるんだもの
でも脳がやらせるんだ。やりたいやりたい
そのための理由、大義名分を常に考えている。

そういう連中と歩調をあわせるな!
ということです。
これが生活習慣を正すということ。

本来だったらこういうことは思春期から30歳(成人)
までのやっておく成長のプロセスであって
さらに年を追うごとにそれに磨きをかけていくもの
ですが、最近そういう大人がとんと減った。
稚拙化幼稚化が進み世間知もなく
勝手な理屈を並べ立てる大人が増えている。
環境も汚染されるよ。
その汚染によって精神疾患患者も増加していく。

何が大切で大変か
それは「自我」というものをどうコントロール
するかであって、これを易経では「身を修める」
として、人生哲学の重要課題とします。
しかし、いまどき「修身」なんていうと笑われる。
その結果がこれだ。

人間はもうすこし謙虚になければいけない。
欝と躁の波があるとして
それがたとえ躁のビッグウェンズデイだっとしても
横暴に振舞う必要はないんじゃないか?
それが、そこが、まず問題じゃないの?
躁=攻撃 じゃないぞ。

そのエネルギーの方向性の在り方を
考えてみるのは非常に有意義です。
本来そういう性質の人ではないはずだ。
どっかで思い違いをしている部分がある。
そこを改める
そこの悪い癖を「矯正」する。

できます。

いままで考えなかった
考えもしなかった
だからやってこなかった
だけの話だ。