あかんたれブルース

継続はチカラかな

父との最後の思い出



いろいろ修羅場もありましたが
わたしと父が最後に別れたのは
平成二年の夏でした。

その後もいろいろあったんですが
そこから先の父はもう父ではなく
父と心を通わせられた最後の場面が
それだった。

母親が出奔して上京し、離婚して
三年目ぐらいでしたかねえ。
郵便局の積み立てが満期になったとかで
ハワイ旅行でもいくつもりだったそうですが
突如、東京に来ると言い出し
もうテンヤワンヤです。
うちには泊められないので
渋谷のビジネスホテルを予約したりとか(汗)
病院に連絡して薬の配合を強くしてくれなど
右往左往ですよ。

白いダーバンの麻のスーツを新調して
きたよ逆噴射オヤジが。

その薬が効いたのか
その二泊三日の間、父は大人しく
ときどき興奮することもありましたが
まあ平静を保っていてくれた。
妹のことや母のことなども
気にかけていてくれた。
優しい心根を取り戻していてくれたのだ。

最後に晩に、妹と三人で
渋谷道玄坂の小料理屋に入りましてね
その日は土曜で渋谷に人が溢れてて
父はそれに辟易し
こんなところでは暮らせない
人がゴミのようだと何度いっていた。
内心しめたと思った。
もし東京で一緒に暮らしたいなんて
いいだされたらどう断るか
そればかりを考えていましたかれね。

薄情?

なにをばかなことを

しかし、それでも父は暴れだすこもなく
大人しい父だった。
いつまでそれが保てるのか
いつでも身構えられる体勢を崩さなかったのですが
なんか二日目のこの晩でお酒も入って
気が緩んでしまったんでしょうかねえ。
懐かしい父の穏やかな物言いについホロっと
涙が出ましてそれが止まらなくなって
嗚咽しちゃってカッコ悪いったらありゃしない。
「兄ちゃん泣かないで」
幸子が袖を引くのに
まあなんとも
父は知らないそぶりだった。

その後、タクシーで芝までまわって
東京タワーの夜景を見に行った。
すごく綺麗でね
運転手には幸せな家族にうつったようです。
始終羨ましがってくれた。
確かにそのときはそうだったと思う。
幸せだったもの。

翌日、羽田に幸子と見送る

最後の別れのときをその数分を惜しむように
父はレストランでビールをねだり
未練たらたらでさ
別れたくないとはいわなかったけれど
ずっとこうしていたいって

搭乗手続きを終えて手荷物を預けても
何度も何度も振り返ってね
手をふるんだ。
麻のスーツがすこしくたびれていたけれど
忘れられない映像となっています。

さよなら父ちゃん

そっから後の修羅場は
忘れた。

ときとして記憶は時間軸を無視して
都合のよいように組み立てられる
それはそれで救われたりもするものですよね。