あかんたれブルース

継続はチカラかな

圧力や抵抗を怖れるな

愛のビリビリ(2)


人間は変化を余儀なくされる。
これはもう絶対の宿命なのだ。
それは人間だけじゃない。
世の中すべてが変化に満ち溢れているじゃないか
毎日のように陽は昇りそして沈む
季節は移り変わり循環を営む。
時間が時代が歴史が環境が、そして宇宙も

それなのに、人間という生き物は変化を厭う。
なぜか?
不安と怖れがあるからだ。
そして安定を求める。
それが苦しみに満ちていても
その先の不安と怖れに打ち勝てない。

それに抗おうなんてしても、打ち殺されてしまう。
とことん追い詰められるのだ
変わるまで苦難の鉄槌は容赦しない。
わたしたちの苦悩はそこにある。

なぜ、光はあるのか暖かさあるのか
それを火がもたらしたと考えるが
では火とはなにか?
熱とは圧力なのだ。
圧力の変化によってそれは生み出されている。
熱を生み出しエネルギーとなる。

電気を利用して暖められて熱が生まれるんじゃない。
電圧という圧力の変化で暖めたり冷やしたり
輝いたりするのだ。

日本にうつ病が発生した切っ掛けを
黒船来航としたけれど
あれは日本に対する外圧という圧力であり
それをもって日本は近代化という道を歩き出した。
そのなかにうつ病というものがある。
欧米ではそれ以前に
産業革命からそれを余儀なくされ
分裂症という精神疾患からうつ病が派生した。

うつ病はそういう変化に対する抵抗がもたらした
ものといっても過言ではない。

しかし、この抵抗はとても重要なものでもあり
この苦悩、負荷があってこそ
エネルギーとして現されるものでもある。

わたしたちがよくいう
壁とか障害とか様々な苦難、もしくは
不運と名付けるその正体はコレなのだ。
宿命と名付ける背負っているものこれが負荷なのだ。
抵抗・負荷があるからこそ価値がある。
それがないものには価値などない。

さほど腹減ってなくとも
トロ食うかカルビ食うかケーキ食うか
そこにはさほどの抵抗もなく食うよね。
そこには贅肉しか残さない、だけの話。

ぶよぶよになってこの脂肪をなんとかしようと
ダイエットを志し、今日からジョギングにと
玄関まで行って靴を履こうとすると
ぶちんと靴紐が千切れてしまった。
これが電圧だ。
きみはいつもそこで挫折する。
なにかやろうとするとすぐこれだとあきらめる。
もしくは誰かの何かのせいにして
いじけて拗ねてフテ寝する。
ワタシはうつろいやすいと宣まうのだ。
これが抵抗だ。

これを踏み越えないと灯りは灯らない。
米も炊けない。コタツも暖まらない。
冷蔵庫も冷えないのだ。
ケータイだって充電できない。
ましてや人間は腐ってしまう。
ぶよぶよでくびれなんかなくなってしまう。
ぶつぶつばっかりいってて口はとんがって
への字歪む。
根性は捻じ曲がってしまうのだ。

圧力とか抵抗があればあるほど
ラッキーなのだ。
ピンチはチャンスというのは
そのことを表してる事例なんだよ。

でね、愛は電流であって
これは流通、循環させないとだめなのだ。
一人じゃだめなの。
それを通じさせる、それを通わせる
誰かが何かがないとだめなのだ。
自分のことばかりで始終するとそれが滞ってしまう。
そういう対象物がないと腐ってしまう。
漏電しちゃってビリビリだ。
それを個の肥大化とわたしは名付けたよね。
現在の世の中の不自由さはコレが原因だ。

自分だけが

という思想の弊害が結局は個人を蝕んでいるんだ。
わかるだろう。

人間の思考は相対的にめぐらされるものだ。
常に他者と比較しては一喜一憂している。
でもさ、上をみても下をみてもキリがない。
地に足がついていないからだ。
自分が何者であるか理解していからだ。
生かされていることに気づいていないからだ。
それはね、本能なんかじゃなないんだよ。
迂闊と驕りと無知だけの話であって
天を仰ぎ見る勇気とあたりを見渡す知性のなさが
そうさせているんだ。
いや感じる心、感性を閉ざしてしまっている。
これが不自由の原因なのだ。

己の足元ばかりみてその危うさに恐れおののいて
いては一歩も前に踏む出すことはことはできない
だろ。
己を空しくさせるとは、そういう誘惑を
振り払うことでもある。
それはストイックなものではなく、ましてや
悟りなんていうインチキでもない。
それを正しく導いてくれるのは
愛だよ、愛。
これがあるからできるんだ。

きみにはそれがある。

まず、そのことをしっかり
噛み締めておくれ。

ハンナ 聞こえるかい
元気をお出し

きみには愛がある。
私たちは愛で生かされて、愛に救われるのだ。
人が人を愛すること、心から喜びあうこと
人が人を想い悲しむこと、愛すること
それで救われている。
大丈夫だ。きみには愛がある。
愛されているんだよ。

ハンナ
みあげてごらんよ