あかんたれブルース

継続はチカラかな

もっと残酷なこと

愛のビリビリ(3)


子育てにまつわる悲惨な事件に
心を痛めます。

子育ては大変、とすれば
まあそりゃそうでしょうが
考え方によてはこんな楽しくて嬉しいものはない。
そういうことをいうと反発する人もいますが
いくら反発したって
それでどうなることでもない。
わたしに文句いってもお門違いというものだ。

それを楽しむかそうでないかは
その人の才覚次第
工夫とセンスの問題です。


前世記憶というものがあるいう。
子供は母親の胎内での記憶、それ以前の記憶を
もているのだと。
三才ぐらいまでは残っているそうで
わたしは息子が言葉を話せるようになると
早速聞き取り調査を開始したのですが
さっぱりでした(笑)
個人差があるんでしょうね。
それでも一才の乳離れのときのことは
憶えていて「なんでおっぱいくれないのかな」と
不思議に思ったと語ってくれた。

わたしは前世とか信じないほうなのですが
この前世記憶というものに
子供が「親を選んで生まれてくる」という
イデアから考えてしまうのだ。

子供は幸せを運んでくれるのだ。

それなのに
我を忘れた親が躾とかの理由で
我が子を死に追いやってしまう事件
あれはその子が諦めてしまったんだなあ
と思ってしまうのです。
途方もない絶望というのかな・・・
「こりゃアカンな」と

その親たちはせっかくの幸福のチャンスを
逃してしまった。
捨てられてしまったのはこの親たちのほうだ。
子供たちは自ら命を絶ったのだ。
そうとでも考えないとやるせないよね。

子育てというものは
そりゃあテレビのCMみたいに手放しで
楽しいってものじゃないよ。
夜泣きもすれば始終泣き止まないときもあれば
しっこもうんこもする金もかかるだろうし
自分の自由も束縛される
よく熱も出すし手間がかかるものです。

けれどもその圧力や抵抗のなかにこそ
幸せはあるんじゃないかということを
知る人も、知った人もたくさんいると思う。

人間は未熟で愚かな生き物であるけれど
子育てはそういうわたしたちに
そのことを教えてくれる絶好の機会でもある。
つまり、愛というものを知る
絶好の場なのだ。
それを放棄してしまうことは
痛ましく残念なことだと思う。
子供のできない夫婦もいる。
不妊治療など大変だと思うけれど
血の繋がりということばかりにこだわらずに
もっと違い視点や視野があってもいいと思うし
そこに横たわる倫理観とか常識というものに
わたしは懐疑してしまうのです。

もの言えぬ子供たちの表情から何かを察する
そういう感性がわたしたちには備わっている。
それは子供だけではなく
大人であってもちょっとした表情や言動や仕草
文章のなかから行間からさえも
感じ取ることはできる。
そういう機微というものが劣化している。
自分のことばかりで目にはいらないのか
察せられないのか
納得させられる理由ばかりを探している。
また、たとえそれが
あったとしてもそれを封印しようとする知性

そういうものに価値などない。

わたしたちは愛というものを
どこで吐き違えてしまったのか?
そこまでして守る自分自身にはそこまでの
価値などない。
そう言い切るのは酷なのだろうか?

そんなつまらないものに
固執して生きることそれこそが、
残酷なことだと
わたしは思うけれどね。