あかんたれブルース

継続はチカラかな

めんどくさい連中

愛のブリブリ(2)


そのたそがれているときに
考えていたこと
密閉されている空間にいることに
息苦しさを感じて外気をもとめて外に
出たわけですが
あのまま中にいてエントランスとかで
横になっていても何かと気を使ってかなわない
どうしたのと声をかけられて
その対応もおっくうなのだ。
心配してくれるのならそれでもまだいいのですが
なかにはこの間みたいについ
「ちょっとしんどくて」と言ってしまったら
「しんどいのはみんなそうだよ」なんていう
言葉を投げかけられてしまう。
たぶんそのときわたしゃ
鳩が豆鉄砲食らったような顔になったと
思うよ。
相手は悪気で言ったんじゃないんでしょう。
顔が笑っていたもの。
きっと叱咤激励のつもりだったんだろう。
ただ、使う場を間違ったんでしょうねえ
こっちは笑いで返す気力もないんだから
それでようやくしまったと察したんうが
後味の悪いやり取りとなってしまった。
はなっからほおっておいてくれたらいいのに

そういう人たちにいちいち注文をつけても
仕方ないものです。
みんながそうじゃないけれど
そういう迂闊な人が最近多い多い
ケータイで電話してても平気で話しかけてくる
相手が今なにをしてるか気が回らないようです。
他の人と話していても平気で割り込んでくるしね。
普通ならお話の途中すみませんがと
断りを入れるとか
その話が一区切りつくのを待つかとか
するものですが
どこか神経のネジが一本抜けてる。

と、思えば自分からふってきておいて
必ず空かす人外す人
そういう論法話術が花盛りだ。
予防線なのか?
一応の責任回避の処世なのか?
あれ変なコミュニケーション術だと思うよ。
もうそこで話して損した気になるよね
受け手としたら。
親切ごかしになにやかにやと心配の可能性を説き
それを返すとその裏の可能性を説く
「だったら自分でやれよ」というと
きっと傷つくか気を悪くするか
本人は善意言ってるという大儀名分でしょうから
まったくめんどくさい話だ。

みんながみんなそうじゃないけれど
そういう人が多過ぎ
きっとそうじゃない人は
さびしい思いをして苦笑いしてるんでしょうが
そういう馬鹿はそれを苦笑いとは感じない
神経のネジがいかれているんだろう。
一本どころじゃない

そう思うと、実にさびしくなる
わけだ。