あかんたれブルース

継続はチカラかな

その顔で本当にいいのか?

愛のぷかぶか(2)


暖かくなったなあと、外にでも出て・・・
と思いきや花粉にやられました。
昨日ちょっと外出したときにマスクして
なかったんだよね。
それだけで許容範囲を超えたみたいです(涙)
おかげで自宅軟禁状態で鼻噛んでます。

書きたいことはことは山ほどあったはずなのに
思考力低下でさっぱり集中力が欠けている。
夕方になってしまった(汗)

その『明日ママがいない』論争で
子役タレントのはるかぜちゃんという
小学6年生ぐらいの女の子が
大人にたちに対して「読み解く力のなさ」を
指摘していたそうです。

まったく同感だ。

昨夜その記事を書こうと関連情報をネットで
チェックしていたら、その意見に対する
ネットでの「うがった意見」をたくさん
目にしました。

本来、穿った見方というのは
物事の本質をつく、という意味だそうで
それからいえば、わたしの表現は正しくない。

斜に構えた、底意地の悪い、嫌なものの見方
こういうのが流行りです。
そういうのが知的だと勘違いしてる人が多い。
匿名性のネットだから、というのもあるんでしょうが
それだけじゃなく、リアル世界でも
面と向かってやらかく人らも多いのに驚く。

だからね、だけどね
そういうのはね
昨日の橘いずみの『失格』の
言いたいこといえないとか
『明日ママがいない』の主題歌
コトリンゴ 「誰か私を」の
何も言えなくなってしまったとか
みゆき嬢の『ファイト』のそういう悔しさとかとは
次元の違うものだと思うのだ。

ネットとかで主張される
便所の落書きのようなつぶやきやコメントには
辟易させられるものがある。
この間、柏の通り魔事件の自作自演の犯人の
言動を眺めながら、そういうのが
バーチャルでないことを実感すると
とても薄気味悪く思うのだ。

正直、そういう連中には近づきたくないと思う。
だからネットなんかで見かける
変な穿った意見の主張者たちにも嫌悪感から
拒絶感、ゲロゲロ感をもつわけだ。

で、話は一転して顔、顔つきについて
なのですが、柏の犯人が逮捕時にテレビに
映し出されたときに、その顔、顔つきに
驚愕した・・・二十歳過ぎてこんなんでいいの?

とは別に、マルハの農薬混入事件の犯人の顔
四十五十過ぎてこんなんでいいのか?
あの容疑者はわたしと同世代か
もしくはすこし若いんだと思うけれど
あの顔はないよね。
ぶ男とか不細工という以前の話としてだよ。
コスプレにはまろうが『ワンピース』が好き
だろうがマニアだろうがオタクだろうが
関係なく、あれはないと思うけどなあ・・・

そういう変な顔の人が増えている。

気味が悪いというか気色悪いという
違和感、嫌悪感をもつ容姿、雰囲気の人たち
歩き方、挙動、しぐさ、話し方、考え方・・・
以前、練炭女事件でもこの手の記事をアップ
しましたがイマイチぴんとこなかったようで
もらったコメントに愕然としたものです。
(ま、その方の顔もだいぶ崩れてましたけどね)

誤解しないでおくれよ
不細工がダメっていってるんじゃない。
不細工は不細工なりに味のある不細工もあり
それはそれでなかなか味わいがあり
名物茶器のようだったりするものです。
逆に、どんなにパーツが揃っていても
顔は時間や環境で、その人の姿勢で
崩れてしまうからねえ

そこにある不自然を読み取れないか?

まあ、はるかぜちゃんがいう
「読み取る力不足」と指摘されるのは
そういうこともあり、またそれは自他ともに
ということなんでしょう。
自分の顔には責任をもたないといけない。
だけでなく言動とか
立ち振る舞い、話し方、考え方
トーンやスピードなどなど
いろいろなところに
無理や不自然は醸しだされるものだ。
恐いものだと思うよ。

主張することばかりに気をとられていると
観察されていることを忘れてしまう。
また、それは他人の目を気にすることとは
別次元の話です。
個性とかとも別の話だよ。

言葉や文章、文字の
一行一句にさえもそれは出たりする。
おざなりに似非「うがった」見方で
調子をあわせるのも考えたほうがいい。
顔がどんどん崩れていく
その前に脳も精神もどーろどろだ。

要はさ
上辺だけじゃなくて上っ面だけじゃなく
そのさきにある読み取る力が
大事なのではないでしょうか。