あかんたれブルース

継続はチカラかな

愛する技術という発想



久々の更新となりました。
昨夜関西から帰ってきのですが
大和路の桜、梅田駅周辺の桜、そして
地元の駅から帰り道の遊歩道の咲く桜に
ああ春なんだなあと

今年初めに電気と圧力という観点から
あるヒントを得たのですが
これがなかなか壮大なテーマで
わたしごときじゃなかなかまとまりがつかず
ジレンマを感じております。
そんななかでルイちゃんから
とんでもないお導きを与えられました。
これまでもスピノザクリムトとか
なにかの拍子にお告げのようにキーワードを
ぶつけてくる。
今回のお題は「エーリヒ・フロム」でした。
知ってる?

フロイト系の学者です。
フロイト派と位置づけられているみたい。
難しい話は横に置いて
彼の著書『愛するということ』(1956年)
から、その最初の頁をめくると

愛する技術

という表現がある。
初っ端かカウンターパンチだった。

なんだかんだいっても
愛の信奉者は多い。
たとえそれをお金と比較して悩むことはあっても
愛自体を完全否定する人はそうそういないし
いてもそれは単なるポーズかハッタリでしかない
それをこのブログでもさんざん口をすっぱくして
唱えてきたものです。

でもさ、愛することを「技術」であるという
発想はなかなかもてないものだよね。
迂闊にもわたし自身そこまで言及できなかった。

つまり、ひらたくいえばさ
おおかたの人間は、私たちは
「愛されること」ばかりに気が働き
そのための努力は惜しまない。

男性であれば、財力や権力や社会的な名声とか
女性であれば、若さとか美しさとか
ダイエットもエステもそのためだよね
古典的ではあるけれど
普遍的なそういう価値観のなかで
奔走してるわけです。
もっといえば、他人に好かれること
としてもいいです。愛されたいということだね。

それ自体を否定するものではないけれど
フロムは、それに対して「愛すること」というのが
お留守になってるんじゃないかと指摘して、
その愛すること自体にも技術がいるんだよ。
というわけです。

ちょっと捉え方を誤れば不謹慎と感じる人も
いるでしょうが、そうじゃない。
これはとても大事なことだ。
フロムはこういう
「愛する技術は、
 先天的に備わっているものではなく、
 習得することで獲得できるとする。
 この考えは、愛を摩訶不思議なもので
 解析や説明の対象にならない
 という立場とは異にする」

なんともドイツ人の学者がいいそうな
もしくはキリスト教社会から阻害された
ユダヤ人の孤高の哲学姿勢が醸しだす英知のような
の臭いがしますが、これは凄いよ。

対して、そのなものはなく
愛はごく自然に人間にそなわっているもので
それに技術や訓練といった習得するべきものではない
そういう発想は間違いで、不遜で
愛に対する、いや人間に対する冒涜であると
主張する人もいるでしょうが
結局がそれが愛を曖昧で摩訶不思議なものに
させてしまう原因ではないのかな。

わたしはどんな人にも愛はあると考えるけれど
愛というものはエネルギーであり
個人差があり、強弱があり、性質上の優劣
(ここでいう優劣とかエネルギー理論の効率性であり)
一瞬数秒で消える愛もあり
三年続く愛もあり、永遠に継続する愛もある
という考えです。
それさえも否定する人たちは多いものですが
フロムをそれを「愛する」というこちら側のスタンスから
その技術の重要性を喝破したわけだ。

ここで考えなければいけないのは
もし仮にその愛が正当なものであれば
私たちが意識する(経験した)
それはなぜ破綻したり消滅したり
変容したのだろうか、ということだ。

それを相手や環境状況、運のせいばかりには
できなんじゃないか。
それですまされればなんとも目出度い話で
そういう愛の、人生の摩訶不思議に翻弄されて
それはそれで楽しい哉と達観するのもいいとしても
なんというか迂闊な曖昧さんの達観のようで
そういう人とお茶しても気の抜けたサイダーの
ような感じです。

そういう曖昧であまったるいシロップ漬けの
ケセラセラがいいというのであれば話は別ですが
結局それも途方もない惰性のなかで漂っている
ようで気が変になりそうではないだろうか。
フロムはそこを突いているわかだ。

このアイデアは単に男女の色恋の話とか
人間個人の人生のあり方や充足度(幸福感)
だけではなく人間社会の動向や歴史
はたまた宇宙の法則性まで話は拡大していきそうです。
とういていわたしなんかがこのテーマを咀嚼して
解説できるようなものではないのですが
今現在の引き出しから出来る限り
記事として伝えられれば幸いかと思います。

それにはまず、愛されることにばかり
比重をおかないで、愛するという姿勢思考に
身を正してみる必要があると思う。
下世話に申せば
愛することは決して損じゃない。
愛されることが得で愛することが損という
発想からしてまず改めるべきでないだろうか。

ここから愛する技術について考えてみたいと思います。