あかんたれブルース

継続はチカラかな

やさしさバリューラブラブセット480円

愛する技術という発想(8)

>やさしさを教えるのは、難しい・・・
>やさしくされないと、やさしくできない
>と言いますが・・・違うと思う!
>何をするでも 損得を先に考えてしまうし、
>世間一般がそうなってしまっているから
>後先考えずに心の赴くまま行動できないんだろうと思うのですよ。
>だって~もてるためのHow toが雑誌やネットで
>あふれかえっているんですよ
>誰もが仮面をかぶってしまった日本では、無償の愛も、優しさも
>作り物に見えてしまう・・・


あれは1970年代の終わり頃だったでしょうか
角川のCMでチャンドラーの言葉を
高倉健が朴訥に語りかけた
「やさしくなければいけない
 やさしくなければ生きている資格はない」

その頃、青春まっさかりだった
私たちは「優しい世代」とよばれてた。
団塊の世代と新人類の間の世代
フォークソングではなくニューミュージック
松任谷ではなく荒井のユーミン
戦争どころか学生運動を知らない
映画よりもテレビから
書籍よりも漫画・雑誌から
すべてを学んだ・・・
やさしさが君臨し統治したのだ。

やさしくなければ生きていけない。

ただし、角川のメッセージには
チャンドラーの「強さ」という餡子の部分は
さらりと隠されてしまっていた。

時代が特に強さを必要としなかったこともある。
そういう団塊世代の暑苦しさに辟易していたし
僕たちは争いを好まない
やさしくやさしくそれだけで認められ受け入れられ
そこに価値があったのだから
それ以上のものは望まない
だって優しい世代だもの
なぜ、泣くの
悲しいね
それを共有するだけで十分な
そういうやさしさが流行りだった。
その風潮は世代をこえてずっと受け継がれていった。
保守本流ではないまでもベースとして
スタンダードとしてお約束として
多少変容しても依然してある。

強さを伴わないやさしさ

強さには臭いがある
それを鼻持ちならいと感じている
弱さに罪はない
いざというときの切り札
言い訳として
とても効果があると信じている
免罪符なのだ
僕たちの仮面はやさしい表情で
さまざまな弱さの化粧がほどこされている
無防備を装い無力を醸しだし
隙をみては備えに勤しむのだ
ささやかにという掟を厳守して

鷹揚に物分りよく包容力のあるように
なにごとにも理解をしめし愚痴をこぼす
その愚痴さえも証にしてしまう
絶好の隠れ蓑

やがてそういうのに飽きてきたアンチ世代が
それを強請りのネタにする
おなじ穴のなかに棲んでいながら
差別化をはかって生き延びようとする
せこい了見だけれどモトがモトだし
50歩100歩なのかもしれない。

>そんな中、本物を見つけることが出来たとき、
>反省するんですよね~私・・・

それができる人は勇気がある。
それを行動に移せる人はなおのことだ。
それを言動でしめすと
不思議がられたり阻害されたり
下手したら攻撃させる
やさしい集団が豹変するのだ。
そこまでいかないまでも違和感をもたれるのさ
マイノリティーという宿命を背負うのだ。

やさしい共同体の敵として
許されるのはタレントだけという
巧妙なシステムがそこにある。

それでも
僕たちは途方にくれている
飽食の末に
やさしさの本質を見失い
さびしさと不安をもう隠せない
誤魔化しきれない
結論として、取り戻すしかないのだ。
ハウツーやノウハウや処世としてのそれではなく
誠実や責任やリスクを伴う
数ではなく質の問われるやさしさを

無防備ではあっても直感と本能に順ずる衝動を
抑えることをやめてしまう
解放が必要です。

愛されること愛されなければいけない
という価値観や不安やしがらみから
すこし傾きをかえて
愛する
という姿勢に戻す必要がある。
でなければつらいよ。

自らのやさしさをとりもどせ
そうすれば愛せる
愛されることよりも
もっと大事なことがある。