あかんたれブルース

継続はチカラかな

シンデレラの母性愛

愛する技術という発想(9)


母性に話を戻して

人間の悩みの種つまり不安は孤立孤独にある。
(これは発展した独立や自立ではない点がポイント)

本来人間は森に住んでいました。
その原点は自然と一体化していた。
ところが、人間はその森を自然を後にして
背を向けたわけです。
これが聖書でいうアダムとイブが楽園を出た
という象徴的な寓話として記されている。
そこから様々な文明を打ち立てていきますが
宿命として自然と同化することを拒んだことから
孤独感を背負うわけだ。
はたして自分は何者なのかという。

その自分のことがわからない
である以上に他人がわからい。
けれども一人では生きていけないので
集団で共同体を拵えて社会を作って生きていく。
当然そこには疑心と不安があるわけです。

結論からいうと、これを解決する手立ては
まったく違うものとの同化だ。
それを目標到達地点にしている。

ところが、人間の誕生のある時期と
母性のある時期には例外的な共存同化状態がある。
それが妊娠時の状態です。
母親と胎児は一体化している。
出産してもその関係はまだ続いている。
自然的にここに無償の愛は生まれるわけです。
が、これは一過性のもので
子供が成長して独立するまでの間の
期間限定という条件が付随します。

子供の場合はごく自然にその流れに沿うのですが
母親の場合はなかなかそれが難しい
ここでしくじる母親がどれほど多いことか
子供がたくさんいればそれも楽でしょうが
現代のように少子化傾向だと
なかなか難しいことでしょうね。

はたしてこの期間限定の体験を
損とするか得とするか?
そういう体験をまったくもてない男性は
最初から、正確には母親との別離から
必死になって探すわけだ。
それをたとえば「ロマン」とかいって揶揄される。
女はそのようなものは必要と考えない
そんなものより現実的なそれ以上のものを
生み出すことができるんだもん。
奔走する男どもを横目にアホかいな
てなもんです。

懸命な母親は魔法使いとの約束を忘れない。
最愛の子が独立できるように
乳だけではなく蜜をも与え
その子が独立できるように手助けをして
その別離を意識して往く。
愚かな多くの母親は約束の時間を忘れて
その関係が永遠に続くという錯覚に陥る。
踊り狂うシンデレラだ。

彼女達の愛情表現は多少問題があっても
子供たちが未熟な時期はおおかた許される
けれどもその成長にそって歪が生じてくる
彼女達はそれに気づかない
どころか支配しようとさえする。
その関係を永遠にするために・・・
悲劇はそうやって拡大していくのだ。

そうやってせっかく得られた
無償の愛の恩恵を上手に活用できない事例は
枚挙に暇がないというわけです。
そう考えると、母性も厄介なものでもある。

愛することにもルールがあるんですね。
フロムは愛するということの重要性を説きつつ
そこに技術の必要性を説きました。
それは習得しなければならないのだと。

性差を別にして
私たち人間の根本の問題は未解決のままだ。
この孤立感をどうやって克服するかだ。

多くの人が
それを愛されることと結論付けた。
残念なことですが、それでは解決されない。

続く