あかんたれブルース

継続はチカラかな

あなたのためという思い込み

愛する技術という発想(32)


体調が今54で夕方にはクタクタ
ばたんキューで目が覚めたら夜中の2時だよ(汗)
悪循環だなあ・・・

さて、子供の話になりましたが
要はすべては「教育」の問題でもある。
現代の教育論思想に大きな影響を与えてるのが
ルソーの『エミール』だというです。
日本の近代化の自由民権運動だけでなく
ルソーの影響はここにもあったか(汗)

しかしさ、名前負けというのがあって
思想やお題目は立派でも
それをやる人間がいいかげんじゃあ
ダメだよね。

日本の教育は戦後劣化していった。
ひとつは戦前の教育を完全否定したことにある。
社会ニーズにあった
「愛されるための」教育だった
といってもいいでしょう。

ここで愛されるとうことは
(社会)に愛されるということだ。
それは勉強ができる、成績が良いこと
だけに集約されていきます。
この風潮に親が教師が真っ黒になっていく・・・
もしくはスポーツが2割ぐらいでしょうかねえ

この弊害・・・わかっているのに
なにもできない、仕方ないと
割り切ってきた結果がこれだよこれ。

なんで普通科がこんなに多いのか?
その時代の都合に合わせて拵えたシステムが
そのまま半世紀以上野放しだ。
そして、都合の良いはずのシステムが
時代と乖離していって
産業構造自体をおかしくさせている。
東京オリンピックだそうですが
それを担う土木建築関係に若い人材はいない。
それも海外から補うのか?
文系事務屋だけじゃ世の中はまわっていかないのだ。

それなのに数の限られた椅子取りゲームに
親も教師も大人も、子供を奔走させる。
多様化といわれながら
こういったところは真逆だよね。
子供を商品化しているのだ。
プレートには「より愛されるため」と
記されている。

あなたのため

という願いや祈りや・・・思い込みが込められて
それも愛だとされているけれど
どんなもんかね。
文部科学省がいまさらになって焦っても
その改善や改革の抵抗勢力が他ならぬ
国民のこういった意識なのですから
どうにうまくいきません。
そうこうしているうちに子供は壊れていくのだ。
少子化という問題を税収と見極めるのなら
それでもいいけれど、だったらなおのこと
もうすこし先を考えないと・・・撃沈です。

茶碗は一度では壊れない
ある日突然壊れるけれど
それにはそれなりのワケがある。

制度や風潮が変わるのには時間を要します。
そんなことよりも今すぐに
自分の子供は自分で守る。じゃないとね。
一人一人の意識の問題であって
子供はそういう親の姿
大人の姿を観て育っているのだ。

変わらなければならないのは
子供ではなく、親であり大人であり
社会なのだと。