あかんたれブルース

継続はチカラかな

蝕まれていく残酷な愛情表現

愛する技術という発想(31)


ルイちゃんに急きたてられて
ケツ叩かれて、だけでなくかなりマジになって
あたかも使命感のように記事をアップしています。
ときどき滞りますが病み上がりの身では
これでも必死なのだ。

愛されることよりも愛することを
この崩れたバランスから何が起きているのか

愛が足りない。

求めてばかりで与えていないんじゃないか
それじゃあじゃあそうなるよね。
どころが与えることが損だと考え違いをしている。
ホントは与えたいのに・・・
そういう風潮や価値観の思い込みが支配している。

経済の根本が循環であるように
これはすべての原理というものです。

いま、日本を蝕む様々な社会問題のすべての
原因がこれなのだ。
そのことを順をおって解き明かしていこうと
思っているですが
事態はそんな悠長なことをいっていられない
ことをヒシヒシと感じる昨今です。
とりわけ・・・
子供が危ない。

なんか変だと思っていたんです。
なんで急にわたしの周囲でアスペルガーとか
発達障害の子供が急増したんだろうかと

最初はテレビとか新聞、雑誌での話題だった。
ところが数年前・・5、6年前からかな
このブログでの知り合いの中という
極めて限定的な交友関係のなかで
そのお子さんや親戚縁者とどんどん急増してきた
そのスピードというか猛威に驚かされたものだ。

それ以前からうつ病の急増に不自然を
感じていたのですが
こういった精神的脳の障害や疾患は
どうして増えていくのかと
ずーっと考えてきました。

うつ病にしてもそうですが
この発達障害とかアスペルガーに関しても
非常にデリケートでナイーブな問題だ。
ブログでやるには危険というかタブーに近い。
近現代史考察以上に。
だからいつも考え考えで結構ハードなテーマなのですが
どうしても避けて通るわけにはいかないので
やります。

というのも、これまでよりも発達障害の子供たちの
症状が重くなっていき、薬物治療を行わないと
二進も三進もいかないというケースを
頻繁に聞くようになったからです。
うつ病同様に加速度をつけている。

ここで、薬物依存・汚染の弊害を特集したのは
昨年の秋ぐらい話でしたね。
そのとき、次のターゲットは子供だと記したはずだ。
どうもこれが現実化し、だけでなく
それを否定しようとも実際にそれがないと
どうにもできないケースが増えている。
また、それまで普通だった子供が変調をきたして
ということはそれ以上に増加の一途だ。
これは決してレアケースじゃない。

少子高齢化というなかで
これは非常に不味い。
ただでさえ子供は年々少なくなっているのに・・・
不妊や死産の)出生率の低下の上に
障害をもつ子供も増えているわけです。

そういったものを(遺伝等の)先天的か
後天的なものと考えてみる。
どう考えても遺伝的先天性だけでは説明がつかない。
高齢出産という理由にしてもだ。
だって昔は初産は早くとも子沢山で
後半の子供たちはみな高齢出産だったわけです。

そこで、後天的な原因として
生活環境の変化というものを考えました。
ひとつの具体的な問題を「食べ物」にあると。
化学薬品、食品添加物、そして化学肥料・農薬だ。
これは1945年前後に起きた世界的な農法改革と
関係している。
いわゆるロックフェラーの緑の革命というやつで
これをたどれば農業化学の近現代史の世界に
踏み込んでいかなければなりません。
結局は薬害なんですけどね。

これはうつ病などの精神疾患とも同じで
この発症は産業革命から
それが認知され分裂症から独立したのは
1899年ことです。
当初、うつ病躁うつ病と認識されていしたが
60年代頃からうつ病だけが独立するかたちとなって
いまではうつ病がほとんど主流です。
躁うつ病は両極性障害と名を改めていますが
本来、うつ病は躁と欝が交互に陥るものである
ことにかわりはないのです。
それが誤った抗生新薬の処方とか
説明がつかないために拵えた「新型うつ」なんて
新しい病名の正体なんだと思う。
欝状態で自殺はしない。
その衝動的な行動は欝から躁に転換したときに起きる。
それなのに医者は抗うつ剤だけを与える。

さて、それはさておき、子供たちのことです。
昨日まで何も異常がなかった子供が
急に変調をきたす、この傾向この症候群・・・
これなんとかしないといけないと思う。
わが子であればなおのことでしょう。
じゃなくても、この拡大傾向には
みんな真剣に考えないといけないよ。

問題の元凶は環境にある。

わたしは様々な日本の社会問題の原因の根っこを
教育にあると考えました。
実際にここ数年、教育改革運動団体にも参加し
様々な現状も把握し、文科省にも何度も行った。
とにかく教育改革が急務であり
現在の入試制度とそれに沿った教育の在り方が
間違っていた、そのことは大概の人が認めている。
文科省ですらです。焦っている。
だから、安倍内閣で教育改革が積極的に行われた
昨年秋のことです。それぐらいマジやばいのだ。
でもね、制度改革は重要だけれども
制度やシステムだけじゃどうにもならない。

環境の問題とは
社会(また学校・教師)のあり方の問題であって
もっといえば、家庭の、親の問題だ。
それは、見てるようで子供を見ていない。
子供が急変したんじゃない。
それまで予兆やサインはあったはずなのに
それを見過ごしてきただけだ。
症状が酷くなって、そこでは初めて気づく。
そのとき「急に」という表現が用いられるのだ。

それもこれも私たち大人が忙しすぎるからだ。
そういう環境が原因していると思う。
でね、その忙しさの原因ってなんだろう
と考える。
別に家族や子供を顧みず遊び惚けている
わけじゃない。生活のため、もっと豊かに
計画する将来のため・・・

ひとことでいって
愛されるため
といっても過言ではないのではないか?

この愛されるための文明や文化価値観の弊害が
様々なところで噴出している。
その最大の被害者が子供たちではないのか。
こういった症状は子供たちのアレルギー反応であり
声鳴き叫びなのではないだろうか。

たとえば、アスペルガーなどを
もっと前向きに好意的に
インディゴチルドレンとか受け入れる
イデアがあります。
でもね、それは私たち大人が親が彼らを
理解して受け入れるという条件が必要であり
それを無視したり否定したりする環境では
彼らはとても不幸だと思う。

愛が足りないのだ。
また、その愛では通じないのだ。
愛されることだけを求める姿勢ではつらいのだ。
愛するということ
愛するにはそれを知る知識と技術が必要だと
フロムは説いている。
この提言を今一度、考えてみて
考えなおしてみるべきではないでしょうか。