あかんたれブルース

継続はチカラかな

共感するということ

愛する技術という発想(34)


本日は波長の話です。
先々月でしたか・・・講師が耐震性の話しから
3.11のときの話に脱線しまして
知り合いが石巻だったかにいたそうで
震災数日後、心配して軽トラックに積めるだけの
日用品を積み込んで被災地に向かったという。

私たちは当時の被災地の有り様テレビでしか知らない。
現実は人語に尽くせぬ悲惨な状況だったそうです。
あちらこちらにまだ遺体があるのだ・・・
人体の一部が転がっている。
そういうなかを遺体避けながら
時には収容を手伝いながら
その知人を探すのでなかなか目的を果たせない。
その作業(遺体収容など)は嘔吐しながら
の作業だったそうです。すごいね。

「震災から何日ぐらい経っての話ですか?」

話のリアルさに思わず質問してしまった。
震災から5日ほど経っていたとか・・・

クルマは瓦礫でしょっちゅうパンクする。
積んでいった食料や日用品は避難民に分け与えて
いたそうで、その地域の町会長かなんかが
パンクしたらそのへんのクルマのタイヤを使え
と流され廃車同然の車のタイヤと取り替える
知恵と許可を与えてくれた。
彼のボランティアに対するせめてものお礼でしょうか
いや、そんなことをいってられない。
とにかく道路がないんだから。みんな必死なのだ。
お腹をすかせた子供がよってくる。
救援隊はなかなか手がまわらない。

GPSでようやく友人宅、跡を、発見・・・
でも誰もいません。
できればどこかに避難してくれていたらと
願いながら瓦礫のなかに目をやると人が・・

その遺体は友人のおばあさんだったようです。
ゲロしながら遺体収容したとか。

でもね、体力がなくて死んでしまった
遺体だったらまだマシかもしれない
彼の記憶で一番ショックだったのは
震災から数日経っているのにまだ生存者がいるんだ。
ある若者が建物に体半分を挟まれて身動き取れないで
助けを求めていたんだそうです。苦しんでいた。
若いから体力があるからもってるんでしょうが
とても苦しんでいる。弱っている。
なんとかしてやりたい。
そう思って必死になります。
でも重機もないし人力では
それでも必死に
渾身の力をこめて上半身を引っ張り出そうとした
そしたら腹部が破れてしまって
そこから内臓がこぼれて出してしまって

どうにもできないんだ
医者も救急車もいない
ただ真っ赤になった両手で若者の腹部を押さえるだけ
飛び出した内臓をもとに戻そうとする
なんとも・・・
自らの無力を嘆いたといいます。
そして、いまでもあの時
力をこめてひっぱった自分の行為を悔いるのだとか
周囲の人も手伝ってようやく救助隊に
若者を託すことがことができた。

放心状態だったそうです。

その日の夕方、避難所で友人と再会できた。
無事を確認できてホッとしました。
友人の家族の被害者はおばあさんだけでした。

彼は昼間助けた若者が気になって仕方ない。
友人の無事を確認すると
あの若者の安否を確認しようと
医療関係の場所を尋ねた。
すると見覚えのある救急隊員に声をかけられた。
そう、昼間の救急隊員の一人です。
残念なことに、あの若者は搬送後に亡くなったそうです。
ただ、あの若者から
「有難うございました」と伝えてくれという
伝言を託されていたのだそうです。
そして、若者家族からも
大変お世話になりましたと、感謝されたそうです。

「そうですか。亡くなられたのですか・・」
なんともいえない気持ちだったそうです。


わたしはこの話を聞いて
途中から涙が出て止まらなくなってね。
これまで震災の報道や特番
ショッキングな映像などでさほど同様しない。
こういうのには強いほうなのです。
それがどうしたことか泣けてきて
クラスのほかの人がどういう反応だったか知らない
顔を隠すのが精一杯だった。


この先生が亡くなった方々の遺体を安置する
体育館に足を踏み入れたとき
そこにはなんともいえない哀しい気が充満していて
そしてそれに感化されおいおい泣いてしまったという。

哀しみの波長が大きなうねりとなって包む
津波のように

話していて当時を思い出したのか
その波長に私たちが触れ感応し
それがまた揺り戻しになったのか
先生は話し終えると
いったん席を外し5分ほどして
またいつもの調子で愉快な授業を再開した。

このことはあれからクラスメイトと話したりしていない。
なんとなく気恥ずかしいのか
ただ、いまふと思い出して
共感できたことをうれしく思った。
自分にとって強烈な思い出となりました。
変な話ですね。