あかんたれブルース

継続はチカラかな

自分探しなら鮫洲に行け

愛する技術という発想(36)


私たちはこの波長をなんとなくの
たとえば相性とか考えてしまう。
その延長から何かと他人のせいや運のせい
に、したがる性も手伝って
運命の人という伝説を造りだしてもいる。

うまくいかないのは
いまだ運命の人とめぐりあっていないからだ。
という慰めはある意味で気休めにはなる
かもしれないが気休めは気休め程度のもので
場末のスナックの止まり木で
水割り一杯飲んだらお会計は8万7千円!
キャッチバーだった、なんてね(汗)。

この波長(周波数)には磁界があって
引き寄せの法則がある。
引き寄せるそして引き寄せられるのだ。
オカルトチックな話じゃないよん。
むしろ偶然とか奇跡とか運命とか
そういった曖昧なものを否定する現実論です。

それなりの自分に見合ったものしか引き寄せない。

くだらない奴にはくだらないものが寄って来る
いい加減な奴にはいい加減なのがついてくる。
類は友を呼ぶだよな。
それに見合ったものしか得られないのだ。
壇蜜をもとめても泉ピン子なのはそのせいで
運が悪いわけじゃない。
だから姿勢は正しておかないとあかん。
言動は注意してないと
観てる人は必ず観ていますからね。
本当にそれにふさわしく必要であれば
壇蜜でも檀れいでも壇ふみでも思いのまま!
疑うならば品川から京浜急行各駅で鮫洲で下車して
警察署までの歩いてご覧よ。
あなたに合った女性が手を振っている。必ず。
インディアン嘘ツカナイ。

運を呼び込むということはそういうことです。

そして、因果律というものがあって
出合う人関わる人は必ず意味があるものです。
そのサインをどう見極めるかが
人生の鍵なんでしょうねえ。
だから運命の人というのは出合った人すべてと
いうことになる。
ある意味宿命の人とでもいうべきなのか?
腐れ縁を断とうと思うなら
断てばいい。なにを躊躇する必要があるものか。
株や投資と同じで損切りできないものは
ロクな結果にならないものです。

大事なことは
何が必要で何が必要ではないか
ということなのだと思う。
数が多ければ愛されるのに有利かもしれない
どころじゃなくて、身動きがとれなくなる。
数じゃない。質の問題だよ。
また何をもっているかそれにも責任が伴うしね。

話がひろがりましたが
波長、周波数の話は続きます。