あかんたれブルース

継続はチカラかな

愛することにこそ価値がある

愛する技術という発想(41)
中島みゆきは知っている [I Love You,答えてくれ]


愛するということは認めること

「答えてくれ」
この歌詞に込められた意味は、実に優しい。
思いやりにあふれている
決して一方的に押し付けてるわけじゃない。

人が愛されることをことを求めるのは
認められたいということでもある。
世に博愛というものが信奉されるけれど
このハードルが崇高なぶん
なんかハナを鳴らしてしまう。ぶひぶひだ。
そりゃそれに越したことはないけれど
それ以前に大切なことがあると
「わたしは」思う。

愛すること
誰を、何を、愛するか
とても大事だと思う。
それを飛び越えて博愛なんて蟷螂の斧のようだ。
蟷螂の斧とは、力のない者が、
自分の実力もかえりみずに強い者に立ち向かうことの喩え。

愛が形骸化しそうで
たんなる八方美人じゃないの?
チンケなものでもいいから
エコヒイキでいいから
その辺はしっかり押さえておきたいものですたい。

愛することは行動だとフロムはいう。
それは意思表示だ。
言動には必ずリスクがともなうものですばい。
この歌の優しさはそういうことを
つまり相手の事情をすべてのみこんだうえでの
まさに捨て身の薩摩の示現流だ。ちぇすとおおお!
愛さずにはいられない馬鹿として
君を愛さずにはいられないんだと
だから悩まなくていい
それに見合ったなにかしてくれなんてことじゃなく
ただ受け取ってくれ。
この馬鹿は
君のことが大好きなんだ。ただそれけ

どうだ諸君
この思いやり
これこそ愛じゃないか!

大げさにいえば
これは日本の伝統的というか愛のトリック
葉隠れ」の忍ぶ恋を超越したもので
分別も見識も言わぬが花よ人生はの歌謡浪曲
ぜーんぶまとめてノシテ畳んで怪物くんだ。
へなちょこインテリなんてデコピンだよピン。

フロムは愛するということを技術に置き換えた。
「わたしは」愛は才能でもあり
能力であるとさえ思う。
人が人をここまで愛せられるものだろうか。
信じられるものだろうか。
自分のことさえおぼつかないのに
己を顧みずに・・・
私たちが求めてやまないものとは
これじゃないか

中島みゆきは「二隻の舟」で
それを「愚かさ」といった。
時にこう願い託す
最後に残してくれるなら
さびしさのぶんだけ愚かさをくださいと

さびしいさびしい私たちが求めてやまない
その愛を得るには愚かさが必要です。

神話では知恵を手にした人間を
神は許さず楽園から追放した。
それから私たちは彷徨い続けている。
さびしさに肩を震わせて

惚れて嬉しい 単に嬉しい  
同じ時代に生まれて嬉しい

「死んでもいい」

I Love Youをこう訳した明治人もいました。
あながち、的外れじゃないよね。