あかんたれブルース

継続はチカラかな

難しいことでも有り得ないことでもなく

愛する技術という発想(42)
中島みゆきは知っている [二隻の舟]


人間、人類が
とりわけ現代の日本人が抱える様々な問題
数え上げたらキリがなく
またそれぞれ深刻な問題ばかりですよね。
昨日も数十年後の危機的状況をニュースで
伝えていました。最近こういう話題ばかり
それなのに何一つ具体的効果的抜本的な
解決策が打てない。
施政者はみな年寄りばかりで無責任なのか
想像力がないのか楽天的なのか
わかっていて兎に角も目先のことが
最優先と言い聞かせているのか
それは私たちも同様なのでしょうね。

「かといってどうにもできない」
これが本音なのかもしれません。

途方もない矛盾とジレンマ
たとえば、国際問題となっている
ウクライナ情勢・・・あの報道を
ロシアとアメリカ及びEUと入れ替えてみると
なにが正しくて間違っているのか
わからなくなる。

たとえば、
原発がとても危ういシステムであることは
誰でもわかっていても
どうすることもできない。
変革や革命を訴えてもそれは他者に対してであり
自分自身はまた別次元の話です。
まず「自分以外の世界」が変わってくれないと
話ははじまらない。どうにもならない
と考えています。

紛争や対立、さまざまな問題には
必ず利権が絡んでいて
大なり小なりその利権に関係しているので
その立場立場で微妙なんだよね。
こういうのが縦横張り巡らされているから
身動きがとれないのだ。
だからどんなシュピレヒコールも
利権と利己の臭いがする。

そういうのがある以上
従来的な革命という手法は、古い。
とわたしは痛感するのです。

一昨日の記事で誤解を覚悟してと前置きして
私たちそれぞれが世界の中心にある
なんて表現しました。
まるでタイタニックのディカプリオのようですが
トチ狂ったわけではなく
これはひとつのアイデアとして考えてほしい。

アインシュタインだったか
相対性理論のなかで
ブラックホールのなかには様々な自分が存在する
ということが解説されたいました。
難しいことは説明できませんが
あんな感じなんでしょうかね。
宇宙はひとつではなく人それぞれの宇宙(世界)が
存在してて、ノストラダムスじゃなくても
昨晩亡くなった亀次郎さんの宇宙(世界)は
昨晩の御臨終のときに消滅しました。
と同時に昨晩から今現在も
全国の産婦人科で様々な宇宙が生まれている。
こんな感じです。
ミクロとマクロは繋がってる
ってアイデアがありますよね。それとも近い

こういった宇宙は他の宇宙と密接に関係し
連動している。それを因果ともいうのかな。

正夫の宇宙(世界)は
邦彦や和枝の宇宙と連動し影響され
また影響しあっている。みたいな

たとえばちょいす姉さんに何かあると
それに関係するようなことが馬太郎にも起こる。
ルイちゃんに問題が起きて
それを解こうと馬太郎が考えると
そのヒントになるようなことが
ちょいす姉さんに起きる。
うり坊に起きるJJ.に起きるりんちゃんに起きる
まったく関係ない事なのですが
その接点にある馬太郎はそこからあるヒントを
導き出す、なんてことが多々あります。
とても複雑な仕組みで
現在のスーパーコンピューターの比じゃない
けど、こういう因果律によって
私たちは生かされてるだなあと思うわけだ。

仏教には
それぞれの人に仏が内服されている
という考えがあります。
のようにそれぞれが世界をもっている。
それぞれの世界、宇宙であるから
その人それぞれで良くも悪くもその人次第だ。

誰が得するとか損するかじゃなくて
自分自身の問題なのだ。

フロムの愛されることよりも
愛するということを重視するアイデア
ことことに結ばれる。
これこそが現代の矛盾を軌道修正する
とてもシンプルで画期的且つ速攻性のある
技術であり知性であり
原点回帰でありルネサンスなんだと思う。
多数をたのみにする気の長い御都合主義や
産業革命以来大迷走してきた人類史の軌道修正
といっても過言じゃない。

この広い世界のちっぽけな私たち一人が一人が
そのスイッチを押すことができる。
誰かを変えるではなく
まず自分から変わるだけ、これだけです。

愛には、そういう力がある。
悲しみを停止させる
悪循環を連鎖をとめる手立てはこれだけなのだ。
なによりその効果はその人にまず訪れ
周囲に影響を与える。まったく逆流して
循環していくんだ。

フロムがいうように
これは技術なのかもしれない
習得すべきものという表現でいいと思う。


中島みゆき「二隻の舟」
http://www.youtube.com/watch?v=BTBM7e7SueE